登 大遊「イノベーションは“いんちき遊び”から生まれる」
「デジタル敗戦」という言葉が確定した事実かのように語られる日本のICTの現状に対し、天才プログラマーの登 大遊氏は「あまり心配する必要はない」と話す。日本に必要なのは大企業の「遊び」だと言う。 by Yasuhiro Hatabe2021.08.30
独創的な若きイノベーターを選出する世界的アワード「Innovators Under 35(イノベーターズ・アンダー35)」。その日本版「Innovators Under 35 Japan」が今年も開催され、8月31日まで公式サイトで候補者の推薦および応募を受付中だ(本人による応募のみ9月7日までに延長)。
このアワードで、「通信」領域の審査員を務める1人が登 大遊氏(36歳)である。登氏は、筑波大学入学時に、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)の「未踏ソフトウェア創造事業 未踏ユース部門」に採択され開発したVPNソフトウェア「SoftEther(ソフトイーサ)」で、天才プログラマー/スーパークリエータ認定を受けた。現在は、自ら起業したソフトイーサを経営するほか、IPAサイバー技術研究室室長、筑波大学産学連携准教授、NTT東日本 特殊局員としての顔も持つ。イノベーションを生むために日本には何が必要なのか? 登氏に話を聞いた。
日本企業に欠けているのは「いんちきな試作」
──コロナ禍で登さんが開発された「シン・テレワークシステム」が話題になりました。
シン・テレワークシステムは、2020年4月に出された新型コロナによる緊急事態宣言下でも通勤せず家で仕事が続けられるように、会社のパソコン自宅からアクセスできるようにと開発したシステムです。NTT東日本とIPAが共同で提供しています。ユーザーは、会社のPCと自宅のPCに専用のソフトをインストールするだけで、登録不要・無料で利用できます。2021年8月現在でおよそ17万ユーザーが使っています。8月初めには、自宅PCに専用ソフトをインストールせずに使える「シン・テレワークシステム HTML5 版 Web クライアント」も公開しました。
昨年4月の最初のバージョンの公開までにかかった開発期間はおよそ2週間。IPAとNTT東日本の人間が集まり、秋葉原でラズベリー・パイ(Raspberry Pi)を買ってきてつくり上げました。当初は50台のラズベリー・パイで構築したので、ケーブルその他含めてもかかったコストは約65万円。ランニングコストは1人当たり月額5〜15円と見積もっています。
また昨年11月には、これを転用して、地方自治体が使っているLGWANというネットワーク内のPCに自宅のPCからアクセスできる「自治体テレワーク for LGWAN」をリリースしました。こちらは32台のラズベリー・パイを使用しており、3万人ほどの自治体職員のテレワークを支えています。
どちらもかなり快適に自宅のPCからオフィスや庁舎にあるPCにアクセスできるので、多くの方に喜んで使ってもらっています。
ただ、このようなソフトウェアは、1人でいくつも開発できるものではありません。1人のプログラマーが1年でつくれるのは、いまお話しした2つくらいなのです。
でも、こういうものをつくる人が日本に1万人くらい出てきたらおもしろいことになる、もっと増えてほしいと思って、最近はシン・テレワークシステムをどうやってつくったか、いろいろな場でお話ししています。
いま日本は「デジタル敗戦」などと言われたりしていますが、そういう人が1万人いれば、マイクロソフトやグーグル、アマゾン、シスコなどがつくり出してきたようなものをつくれるはずです。それが今できていないのは、「いんちきな試作」をする場がないからだと思っています。
──「いんちき」ですか?
「いんちき」というのは、すでにあるその道のプロがとるような安定して同じ結果が出る、既存の、正しいやり方ではなく、破綻することがわかっている間違ったやり方でもない、枠から外れた新しい発想や手法のことです。既存のやり方は期待した通りの結果が出るのですが、成長率は0%でそれ以上にはなりません。
例えばグーグルが1998年に検索エンジンを始めた時のサーバーは、メーカーが売っているちゃんとしたサーバーではなく、日本でいう秋葉原のようなところで部品を買ってきて自分たちでつくったものでした。そういう「いんちき遊び」を、大学で彼らははじめにやっていた。
ほかにも歴史を調べると、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックはアップルを創業する数年前に、違法に無料通話を可能にする電話会社ハッキング装置をつくっています。それを通じて、コンピューターや通信に詳しくなった。アップルの最初のコンピューターも「いんちき」の産物だったわけです。
ユニックス(UNIX)やマイクロソフトなど、米国の「すばらしい」と称される技術やICT企業の成り立ちには、似たような逸話がたくさんあります。
日本は、そのような企業が成長した後の「まとも」になった部分を真似して、「同じことができないか」とがんばっているように見えます。でも、本当に必要なのは、成長した後ではなく、彼らが最初にやった「いんちき遊び」をまねすることだと思うんです。
実はシン・テレワークシステムも同じ思想でつくられました。1年くらいずっと「いんちき遊び」でやっているんです。そうすると、みんな楽しいからどんどん事が進みます。
自律的に遊びながら技術開発し、それを黙認する環境が必要
──日本の企業で実践するのはなかなか難しそうです。
この「いんちき遊び」をやる上で重要なのは、社員がコンピューターやネットワークを社内の空いているスペースで勝手に自分たち構築して、それを会社も黙認するような環境です。そういう自律的に「いんちき遊び」ができる環境でこそ、自然におかしな、価値ある技術が出てくるのです。
スペース、予算、従業員、日本企業にはせっかく膨大なリソースがあるのに、これをやらずに、規則で縛ったり、説明を求めたりして明確な統制をきかせてしまう。いまや大企業どころか中小企業もそうなっています。ものづくりはそれでは駄目で、明確な統制なしに自然に統制が取れている最良の状態を維持することが大切です。
日本の企業でも1990年代くらいまでは社内にサーバーを置くスペースがあったのですが、仮想化技術やクラウド・サービスが出てきてなくなってしまいました。目の前に物がないと、例えばヴィエムウェア(VMware)やハイパーV(Hyper-V)を使うことはできても、それらがどうやってつくられているのかがわからなくなってしまう。「いんちき遊び」のやり方を忘れてしまったんですね。
だから、シン・テレワークシステムのような「いんちき遊び」から生まれるおもしろサービスのモデルケースをまず自分がやってみて示していくことで、1万人ぐらいそういう方々が育つんじゃないかと思っています。
──日本の大企業でそれは可能でしょうか。
シリコンバレーに匹敵するようなリソース、つまり人やお金は、日本ではスタートアップよりも大企業の中にあるんじゃないかと自分は思っています。
確かに、たいへん多くの問題が日本の大企業には山積みです。技術開発によって解決できるはずなのに、解決方法がわからないゆえに人海戦術や外注に頼ってしまっている問題がいくらでもあります。
ここに、コンピューターやネットワークの本当のことがわかっている人、それらを解決する技術を社内でつくることが可能になります。それを1万人くらいが日本の大企業の至るところでつくっていけば、次はそれそのものに普遍的な価値が出て、世界でも使われるフレームワークのようなものができていくのではないかと思っています。
コンシューマーではなく「つくる人」であれ
──登さんは、「おもしろい」ものや、「おもしろい」ことをする人に強い興味があるように見えます。
それは、表面を見て終わりではなく、裏のからくりがどうなっているのかを見に行く人たちだからですね。自分も同じ。コンピューターを使うだけじゃなくて、その裏側、物理的なものもシステムソフトウェアも含めて見に行く。しかも遊びで。
つまり、コンシューマー(消費者)ではないのですね。生産をしているんだと思うんです。生産の仕組みがどうなっているのかを知って、それを自分でもつくりたいと思っているのが自分たちのような人間なんです。
ほとんどの人は、生産手段が与えられているから、それを回すだけで生産ができるし、それをいかに効率よく回すことを考えている。でも、その生産手段も、誰かがつくったわけですよね。
新しい生産手段を、他の国や他の会社はつくっているのに、我々はつくっていないのではないでしょうか。他からもらったものを回しているだけじゃないですか。そうすると、競争に負けて、我々は社会から不要になってしまうのではないですか。
日本の大企業は、1990年代くらいまではコンピューターや通信機器などハードウェアをつくっていたんですよ。もっとさかのぼると、造船や製鉄に始まり、繊維、工作機械、エレクトロニクス、化学、建設などあらゆる産業技術を外国から吸収し、それを超える発明をして世界トップクラスの製品を生み出していました。でも、それで儲かってしまったんですね。自分で考えるのはだるいから、他のところに出資しよう、外注しよう、というふうになった。
いま、多くの企業において、本当のところがどうなっているのかをわかっている人がいない状況になっている。これはまずい状況で、みんな危機感を持っています。
ただ、自分はあまり心配する必要はないと思っています。あまり「こうせねば」と義務的に考えるのではなくて、先ほど話した「いんちき遊び」みたいなものわーっとをやるのが、一番苦労せずに、新たなものづくりの技術を身につける方法だと思います。大企業は、創業時に考えたことを思い出すことが重要なんじゃないかと思います。
哲学・政治・法律などICTの専門領域以外の学問からヒントを得る
──コンシューマーではなく生産をする人というのは前提だとして、改めて登さんが考えるイノベーターの条件とは何だと思いますか。
「いんちき遊び」も大事ですが、それだけでは破綻すると思っていまして。もう1つ重要なことは、対象分野以外のことも勉強することです。
例えば製鉄では、原材料を高炉に投入すると、炉内で複雑な反応が起きて、生成物ができますよね。この際、原材料の価値よりも生成物の価値が高いから、産業として成り立ちます。
ICTの場合、高炉に相当するのは人間の頭脳だと思います。ただ、高炉と違って頭脳は原材料を投入して上手く動くと、頭脳自体が自己拡張する性質を持っています。それが知性と呼ばれるものです。この知性を細かく制御することはできませんが、原材料を投入して適当に反応させておれば自己拡張する、これは正しいことです。
では、どういう原材料を入力するか。ICTだからといって、コンピューターやソフトフェア、ハードウェア、通信の技術を勉強してばかりでは偏りがある状態だと思います。
自分の提案は、そうした専門領域の勉強は10%程度にとどめて、残りの90%で法律や哲学、政治、化学、生物、物理、数学などの学問の本を読むこと。そうすると、ICTとは全く関係ない学問の中に、例えばデータ構造やセキュリティのメカニズムと相似形のものがあることがわかってきます。
コンピューターの中には、セキュリティの仕組みや、プログラムを同時に動かすシステム、メモリを共有する仮想メモリ、通信ではTCP/IPのスタックなど複雑怪奇な構造がいろいろあるのですが、考えてみると、その構造を1969年以降の短い期間で思いついたわけがないのです。きっと、西洋で発達したさまざまな学問の中にその元となる要素があり、そこからさまざなまソフトウェアの複雑怪奇な構造の着想を得たのでしょう。
──最後に、そのInnovators Under 35 Japanに関心を持つ若い人たちにメッセージをお願いします。
「いんちき遊び」をやることは重要ですが、出来上がったものがいんちきでは駄目なんですね。そうならないために押さえておきたい要素が2つあります。1つは、継続可能であること。ずっと動くもので、価値を継続できること。もう1つは、安定して動作すること。私が審査を担当する「通信」の領域では安定性がとても重要です。
受賞を目指して何かをつくるというよりは、戦略的に長く動くようなものをつくろうと決めて、取り組むことが大事だと思います。
MITテクノロジーレビューは[日本版]は、才能ある若きイノベーターたちを讃え、その活動を支援することを目的とした「Innovators Under 35 Japan」の候補者を募集中。詳しくは公式サイトをご覧ください。
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- 畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
- フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。