無計画な封鎖、ワクチン輸出
相次ぐ失策が招いた
「インドの危機」
新型コロナウイルス感染症で大量の死者を出したインドは、数多くの失策を重ねていた。首相が突然宣言したロックダウンは都市労働者の帰郷を促す混乱につながり、国産ワクチンの海外輸出を進めたことで国民のワクチン接種は出遅れた。 by Sonia Faleiro2021.08.23
アシュリー・デラニーは4月21日、義父のジョセフ・ポール・アルバレスをゴア医科大学病院へ連れて行った。ゴア医科大学病院は、インド南西部にあるごく小さな州、ゴア州では最大の公立病院だ。しかし、病院は大混乱の最中にあった。どの病棟も満床で、708床ある新型コロナ病床もすべて埋まっていた。がんから回復した69歳の義父は、ベッドが空くまでのほぼ3日間、ストレッチャーに横たわるしかなかった。トイレは非常に汚く、大人用オムツを着用している患者も多かった。病院のスタッフは、発作を起こした新型コロナ患者を包帯でベッドの支柱に縛りつけていた。スタッフは途方に暮れているように見えた。こうした光景を目の当たりにしたデラニーは不安を覚え、事態の悪化に備えて義父の病床に付き添うことにした。そして、事態はすぐに悪化した。
4月28日の朝、数人の患者のモニターが点滅し始めた。患者が苦しんでいることを示すサインだ。しかし、病院のスタッフは応答しなかった。そのときデラニーは院内を歩き回って調べ、およそ10~12人の患者が亡くなっていることがわかったと後に語った。デラニーは医者ではないが、彼の目には酸素の供給に問題があるように見えた。デラニーは数人の看護師や医師に自らの考えを伝えた。だが、彼らはすでに上層部に苦情を言ったものの、無視されたのだと答えた。5月2日、再び同じ事態に陥り、そのときは12人の患者が亡くなった。5月3日の夜、死亡した患者の数は14人に増えた。デラニーが見たところ、いずれの場合も、午前2時から午前6時の間に酸素の供給が低下していた。酸素の供給が毎晩不足し、患者の窒息を起こしているように見えた。
デラニーが新型コロナ病棟を観察し始めて2週間近く経った5月4日、病棟全体が酸素不足に陥った。デラニーは酸素不足の影響を受けている患者、苦しんでいるがまだ生きているすべての患者を救う機会があると考え、スタッフに声をかけた。だが、苦情を申し立てると上層部からの報復が怖いと、スタッフはデラニーに打ち明けた。2人の患者が亡くなった後、デラニーは自身の調査結果を公表した。
39歳のITコンサルタントであるデラニーは、以前から行動主義の傾向があった。パンデミックが始まったときには、出稼ぎ労働者に生活必需物資を配布した。ファッションデザイナーである妻の協力を得て防護マスクを製作し、最前線のエッセンシャルワーカーに無料で配布した。そしてデラニーは、圧倒的な第2波の最中にインターネットに精通し、窮地に陥っていたインド人たちが助けを求めていた場であるソーシャルメディアに目を向けた。
デラニーは内部告発記事を書いてフェイスブックに投稿し、ゴア州首相のプラモッド・サワントのタグを付けて2700人の友人にシェアした。「GMC(ゴア医科大学病院)の第142病棟は5月4日午後7時現在、酸素を使い果たしました。すべての患者の血中酸素飽和度が危機的レベルにまで低下しています。今すぐ行動しないと患者たちが死んでしまいます」。この投稿はネットで拡散された。まさにその翌日、サワント首相が病院に現れ、スタッフと面会して報道陣に状況を説明した。
後の内部調査の結果、デラニーが書いたとおり、5月2日と3日の夜に酸素レベルの低下が原因で23人の患者が死亡していたことが判明した(両日の夜にデラニーが確認した死亡者数は14人だが、他の9人の死因も新型コロナウイルス関連だった)。後日開かれた公聴会に州政府を代表して出席した弁護士は、酸素を運搬していた牽引トラックの「操作」が病院敷地内で困難になったため、供給が途絶えたと説明した。その牽引トラックは5日間の夜間の少なくとも83人の死亡に関連していた。
米国ではパンデミックが収束に近づいているように見えるかもしれないが、インドでは新型コロナウイルスの感染状況が依然として大惨事としか表現できない域にあり、公式発表では3000万人以上の感染者と40万人以上の死者が出ている。ただし公式発表の数字は、実数よりはるかに少ないとの見方が大勢だ。より信ぴょう性が高いと考えられるニューヨーク・タイムズ紙の5月25日付の記事によれば、5億3900万人が感染し、160万人以上が死亡したという。6月27日のウォール・ストリート・ジャーナル紙は、ワシントン大学医学部保健指標評価研究所(University of Washington’s Institute for Health Metrics and Evaluation)が推計した数字を掲載したが、その推計の基礎となったモデルもインド政府が過小集計している可能性を指摘している。同研究所は、死者数を公式発表の3倍の110万人以上と推定している。
だが、この惨事は避けられないものではなかった。インド国内での蔓延が確認された新しいデルタ変異株でさえ偶然の産物ではなかった。それどころか何千万人ものインド人を襲った大惨事は、政府の失態による直接の結果だ。インド政府は、病院の収容能力拡充や、医薬品の確保などの準備を怠たり、接触者追跡の方法を考えることもせず、適切なデータも収集できず、ワクチンの購入も後回しにしていた。第2波が避けられないと判明した後も、政府は自らの政治的目的のために「スーパースプレッダー・イベント(大規模な集団感染を招くイベント)」の開催を許し、ウイルスに新たな感染拡大の機会を与える結果となった。危機の中心に立っていたのは、科学にほとんど注意を払わず、適切なアドバイスを聞き入れることを拒否し、何が何でも権力にしがみつくことにしか関心がないように見えるナレンドラ・モディ首相、その人である。モディ首相の傲慢さと準備不足は、インド国民に計り知れない損害を与えた。
悪夢のきっかけは最初のロックダウンだった
パンデミックが発生して間もない2020年3月、モディ首相は突如として21日間の全国的な厳しいロックダウンを発表した。WHOによると、当時インドの感染者は360人で、死者は7人だけだった。モディ首相の決断は先を見越した措置として称賛されたが、よく練られた施策とは言えないものだった。13億9000万人のインド国民に対して、ロックダウン発効まで4時間足らずの準備時間しか与えなかったことが原因で、1947年のインド・パキスタン分離独立以来、インド亜大陸史上最大規模の人口移動を引き起こしてしまったのだ。1000万人から8000万人と推定される膨大な数の日雇い労働者が地方に帰郷しようと先を争って移動したものの、政府が公共交通機関を閉鎖したため、その多くが数百キロの距離を歩くことを余儀なくされた。その途上では、交通事故や飢え、さらには情け容赦なく規則を強制する中で起きた警察による暴行など、ロックダウンに関連するさまざまな原因で、1000人近くの出稼ぎ労働者が命を落とすという人道的危機がテレビで報じられた。一つの災害を防ごうと試みた政府が別の災害を引き起こしてしまったわけだ。さらに出稼ぎ労働者が大移動することで、都市部に集中していたウイルスを全国津々浦々にばらまく事態となった。
だが、インド国民は間もなく明るいニュースに期待を寄せるようになった。2020年4月、世界最大級のワクチンメーカーであるインド血清研究所(Serum Institute of India)は、オックスフォード大学とアストラゼネカが共同で開発したワクチンのライセンス生産を始める予定だと発表した。予定生産量は2020年に最大6000万回分、2021年に最大4億回分と膨大なもので、年間15億回分を超えるワクチンを生産しているインド血清研究所が計画を達成するのは容易と見られていた。インド血清研究所のCEO(最高経営責任者)で大富豪のアダール・プーナワラは、モディ首相が同社のワクチン生産計画に「非常に密接に」関わっているとロイター通信に語った。
プーナワラCEOは後日、首相がインド血清研究所を訪問している姿をツイッターに公開した。しかし、インド政府はインド血清研究所と実際に契約を結んだわけではなく、ワクチンの増産を支援したわけでもなかった。米国では政府がパンデミックに対する連邦政府の対応を加速するために「ワープ・スピード作戦」を開始し、英国では政府がオックスフォード大学とアストラゼネカのワクチン開発に8400万ポンド(1億1700万ドル)の助成金を支給し、最大3億4000万回分のワクチンを発注した。一方モディ首相は、お膝元のメーカーからワクチンを確保しようともしなかった。
インドの損失は世界の利益となった。インド血清研究所は、国際的なワクチン共有の枠組みであるCOVAXや、カナダ、英国などの国々と契約を締結した。インド政府が初めてワクチンを発注したのは2021年1月のことだが、その頃までに血清研究所のすべての在庫は事実上売約済みになっていた。インド政府はその後、2021年末まで輸出の凍結を強制することによって問題に対処したが、その …
- 人気の記事ランキング
-
- These AI Minecraft characters did weirdly human stuff all on their own マイクラ内に「AI文明」、 1000体のエージェントが 仕事、宗教、税制まで作った
- Google’s new Project Astra could be generative AI’s killer app 世界を驚かせたグーグルの「アストラ」、生成AIのキラーアプリとなるか
- Bringing the lofty ideas of pure math down to earth 崇高な理念を現実へ、 物理学者が学び直して感じた 「数学」を学ぶ意義
- We saw a demo of the new AI system powering Anduril’s vision for war オープンAIと手を組んだ 防衛スタートアップが目指す 「戦争のアップデート」