遺伝子編集で作る「感染症にかからない豚」
遺伝子編集技術「CRISPR(クリスパー)」を使って、感染症にかからない豚を作り出す大規模なプロジェクトが米国で進行している。理屈の上ではこのプロジェクトの手法は、人間にも適用できる。 by Antonio Regalado2021.06.18
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界中で蔓延し始めると、企業は閉鎖に追い込まれ、国は国民に対してステイホームを指示した。多くの人が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)を止めるにはそれで十分だろうと考えた。しかし、人々が豚にもっと注目していたら、もう少しなんとかなったかもしれない。空中に浮遊して伝播するウイルスの抑制について、テネシー州ヘンダーソンビルにあるピッグ・インプルーブメント・カンパニー(Pig Improvement Company)のビル・クリスチャンソンCOO(最高執行責任者)は、「人々はあたかも自分たちが上手くやっていると勘違いしているように思います」と話す。
クリスチャンソンCOOは疫学者と獣医の肩書きを持っている。ピッグ・インプルーブメント・カンパニーはエリート繁殖豚を養豚業界に販売しており、過去34年間にわたって、豚繁殖・呼吸障害症候群(PRRS、「パース」と発音する)と呼ばれるウイルス性疾患と闘ってきた。
その病原体が引き起こす病気は、確認しやすい症状の1つにちなんで「青耳病」と呼ばれている。PRRSが初めて出現した1980年代、この病気は単に「ブタの奇病」と呼ばれていた。PRRSに感染すると、雌豚は流産したり、萎縮した子豚を死産したりする恐れがある。
「豚にとってのPRRSは、間違いなく人間にとっての新型コロナウイルスよりも酷いものです」とクリスチャンソンCOOは言う。
PRRSやその他の病気を防ぐために、養豚業者は新型コロナウイルスの予防に努めてきた人なら誰でも知っている対策を採用している。安全な豚舎に入る人は、その前に体温を測り、シャワーを浴びて、着替えをする。弁当箱には紫外線を浴びせ、物資には消毒剤が噴霧される。次に、「休日に豚を見たか?」、「カントリーフェアに行ったか?」といった「直近の豚との接触」についての質問がある(「はい」と答えると、業務から離れて2週間の隔離を強いられる)。
こういった予防策にもかかわらず、ウイルスは入り込む可能性がある。ウイルスは、侵入するとあっという間に周辺区画に広がる。動物を迅速に「減らすこと」、つまり間引きが、ウイルスを一掃するための最も効果的な方法である。悪い年には、米国の養豚業者はPRRSで6億ドルの損害を被る。
現在、英国の動物遺伝子企業であるジーナス(Genus)の一部門になったピッグ・インプルーブメント・カンパニーは、別の試みに取り組んでいる。動物を周囲の環境から封じ込める代わりに、豚自体を変えようとしているのだ。同社は、米国中部の実験施設(セキュリティ上の理由から所在地は秘密にされている)に、豚のIVF(体外受精)センターと研究所を構えて、革新的な遺伝子の「ハサミ」であるクリスパー(CRISPR)を使って豚の卵子の遺伝子編集をしている。
同社のバーチャルツアーでは、1人の社員がスマホを手にして、遺伝子編集ラボを通って、雌豚が出産までの9か月を過ごす妊娠エリアを見せてくれた。このエリアは養豚業界の用語で「ファロウイング(豚の分娩室)」と呼ばれている。次に、案内してくれたコンクリートの部屋では、遺伝子編集された子豚が鳴き、カメラをのぞき込んできた。同社によると、これらの幼豚は、PRRSのウイルスが結合する分子受容体をもはや持っていないため、PRRSに感染しないという。
すべてのウイルスは、細胞に結合し、自身の遺伝物質を注入することによって細胞を攻撃する。新型コロナウイルスの場合は、気道や肺の細胞によく見られるACE-2と呼ばれる受容体に付着する。新型コロナウイルス感染症が呼吸に問題を引き起こすのはそのせいだ。PRRSの場合は白血球の受容体であるCD163に付着する。前述の実験用の豚は、遺伝子編集によってCD163の一部が切り取られており、CD163の完全な遺伝子を持っていない。ウイルスの受容体がなければ、感染もしないということだ。
ピッグ・インプルーブメント・カンパニーの未発表研究によると、遺伝子編集された豚にPRRSを感染させる試みは成功していない。「私はそれが正解であろうとは思ってもいませんでした。しかし、あらゆる豚種ですべてのウイルス株に対して有効なようです」と、クリスチャンソンCOOは話す。
同様の方法が人間に対して試みられたことは悪名高い。2018年に発覚したどうしようもなく無謀な試みで、中国の科学者たちはエイズの原因であるHIVへの耐性を与えようとして、人間の胚を編集した。研究者たちは、豚の場合と同じように、受容体を取り除くことによって病気を阻止することを夢見たのだ。問題は、テクノロジーがそのような野心的な研究を安全に実行できる水準にはなかったことだった。クリスパーツールは非常に用途が広いが、精度が不十分であり、DNAに手を加えたせいで、この実験から生まれた双子には遺伝子の傷のようなものが作られた。
その年の9月、権威ある国際委員会は、「人間の胚に望ましくない変化を起こすことがなく、効率的かつ確実に正確なゲノム変異を起こすことが可能であることが明確に確立されるまで」、何人たりとも二度と胎児の遺伝子改変を試みるべきではないと発表した。
しかし豚の場合、今こそが遺伝子改変の時代であり、そのメリットは間もなく明らかになるかもしれない。ジーナスは、早ければ2025年にも、米国と中国で自社の豚を販売する認可を獲得できるだろうと見ている。すでに、同社の実験場では、数百頭の遺伝子編集された豚が生まれ、その子孫は数千頭にのぼる。これはおそらく世界最大規模であろう(遺伝子を改変した食用動物に関する規制当局の承認についてはこちらの記事を参照)。
PRRS耐性を持つ最初の動物の開発に携わったイリノイ大学の研究者、レイ …
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