白人至上主義者らが激しい暴動を起こし米国議会議事堂に侵入した事件を受け、ツイッターとフェイスブックはそれぞれのプラットフォーム上でドナルド・トランプ大統領のアカウントを1 月7日に停止した。翌日、ツイッターは停止措置を永久のものとした。ツイッターの対応について多くの人々は、選挙で不正があったというトランプ大統領の虚偽の主張に同大統領の信奉者らが触発されているという状況の中、同大統領が被害をさらに拡大させるのを防いだと称賛した。一方で、共和党員たちは、トランプ大統領の言論の自由の侵害だとして、同社の対応を批判した。
しかし、ツイッターのとった措置は言論の自由の侵害ではなかった。トランプ大統領が合衆国憲法修正第1条により気の触れたナンセンスな意見をぶちあげる権利があるのとまったく同じように、テクノロジー企業も合衆国憲法修正第1条によりそうしたコンテンツを削除する権利がある。ツイッターの決断について一部の有識者は、前例がないとか、エドワード・スノーデンのツイートにあるように「デジタル言論のコントロールを巡る戦いの転換点」だと評した。だが、それはまったく違う。ツイッターもフェイスブックも日常的に、あらゆる種類の法によって守られた表現を削除している。それだけでなく、同社らが政界の重鎮のアカウントを停止したことさえも、トランプ大統領の件が初めてではない。
ミャンマーでの虐殺の報道を受け、フェイスブックは、プラットフォーム上でヘイトを助長していたミャンマーの将軍やその他の軍事指導者のアカウントを停止した。同社はまた、ヒズボラ(Hezbollah)の活動を禁止している。米国が外国テロ組織に指定していることが理由だが、ヒズボラはレバノンの国会に議席を持つ政党でもある。さらには、米国から経済制裁を受けている国家の指導者がアカウントを持つことも禁止している。
同時に、フェイスブックもツイッターも、選挙で選ばれた公人が投稿したコンテンツは、一般人のコンテンツより守られるべきだという主義も貫いている。結果として、政治家の発言は一般人の発言よりも強い影響力を持っている。公人によるヘイトスピーチは一般のユーザーによる同様の発言より影響力が強いことを示す証拠が数多くあるにもかかわらず、このような立場をとっていることは矛盾している。
しかし明らかに、こうした方針は世界中に平等には適用されてはいない。実際、不安の種をソーシャルメディア上にまいている世界のリーダーは、決してトランプ大統領だけではない。インドのナレンドラ・モディ首相の政党であるインド人民党が数ある例の中の一つだ。
トランプ大統領がプラットフォームから追い出されたことで、短期的な恩恵と多大な満足感があることは確かだ。とはいえ、今回のソーシャルメディア企業の決断(とそれ以前に実施されてきた決断)は、言論の根本的な部分について次のような疑問を提起している。我々が何を言って良いとか、何を言ってはいけないとかを決める権利を持つべきなのは誰だろうか? 企業が政府 …