才能ある若きイノベーターたちを讃え、その活動を支援することを目的とした、MITテクノロジーレビュー主催の世界的なアワード「Innovators Under 35(イノベーターズ・アンダー35)」。このアワードの、世界で7番目のローカル版として「Innovators Under 35 Japan」が今年初開催される。
審査員の1人、東京工業大学 科学技術創成研究院の西森秀稔特任教授は、世界で現在、唯一商用化されているD-Waveシステムズの量子コンピューターの原理となる「量子アニーリング方式」を考案した人物であり、紛れもない日本を代表するイノベーターの1人だ。西森特任教授に、量子コンピューターの現在地と今後の展望、これから頭角を現すであろう若きイノベーターへの期待を、角川アスキー総合研究所の遠藤諭主席研究員が聞いた。
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量子コンピューターが「役に立てる」アルゴリズムを探しているのが今
遠藤 西森先生には2017年3月に開催した「MITTR Emerging Technology Conference #2」に登壇いただき、量子コンピューターの2方式「量子ゲート方式」「量子アニーリング方式」の基本的な原理やその違い、当時の量子コンピューターをめぐる世界の状況についてお話しいただきました。3年経った今の量子コンピューター現在の状況と、今後のロードマップのようなものがあれば教えていただけますか。
西森 ゲート方式に関しては、昨年グーグルが量子超越性を達成したと大きく報道されました。グーグルは、53量子ビットのゲート方式の量子コンピューターで非常に特殊な乱数を発生させるアルゴリズムを実行したところ、スーパーコンピューターでは1万年かかる計算を数分で解いたといっています。IBMは反論していますが議論は収束しており、量子超越性が達成されたことはほぼ事実だと思います。
ただ、グーグルの量子コンピューターが実行したタスクは乱数発生で、実用性はありません。コンピューターは役に立たないと意味がありませんので、役に立つことを量子コンピューターができるのはいつか、という話になってきます。現在は、どのアルゴリズムを使うと実用的なことができるのか、これを皆が一生懸命に検証しているところです。
有名なのはShorのアルゴリズムという、素因数分解をするアルゴリズムです。現在使われているRSA暗号は桁の大きな数の素因数分解が難しいことを安全性の根拠としていますが、このRSA暗号がShorのアルゴリズムによって破られるようなことがあれば、それは量子超越性です。ただし、それは恐らくこの先20〜30年は達成できません。
遠藤 20〜30年経つとできるということですか。
西森 いいえ、20〜30年できないことは確かで、その先は「わからない」というのが正しいです。
遠藤 ただ、20〜30年後に解かれるかもしれないことを考えると、暗号を使うユーザーにとってはものすごく重要な問題ですね。
西森 はい。例えば軍事情報のやりとりでもRSA暗号が使われていますので、Shorのアルゴリズムの量子超越性が達成されると国家安全保障上のリスクだということで、アメリカなどは量子コンピューターでも解けない耐量子計算機暗号というものを、近いうちにスタンダードにしようという動きを盛んにしています。
しかし実際のところ、Shorのアルゴリズムを実行するには、数千万〜数億量子ビットが必要だと考えられています。グーグルが53量子ビットですから、これまでの進歩のスピードをそのまま続けたとしても最低20〜30年はかかるのです。
量子化学計算が実現すれば創薬・材料開発が急速に進む
遠藤 量子コンピューターがビジネスにどう関わってくるかをお聞きしたいのですが、量子コンピューターを使った計算でお金を稼いだ人はいるのですか。
西森 本当の意味で稼いだ人はいないと思います。ですから、ゲート方式の開発におけるここ5〜10年の大きな目標は、小さい量子ビット数、例えば100とか200の量子ビットの量子コンピューターでも役に立つタスクを見つけ出すことです。そこへ向けて、量子シミュレーション、量子化学計算、組み合わせ最適化問題などのいろいろなアルゴリズムの開発が急速に進んでいます。ただそれも、実現できるかどうかは「わからない」というのが正しい。
遠藤 わからないけれども探していると。
西森 そうです。では、利益が上がることが保証されていないのに、IBMやグーグルのほか、リゲッティ・コンピューティング(Rigetti Computing)のようなスタートアップが一生懸命開発しているのはなぜか。それは、最初に実用レベルに達した企業はシェアを「総取り」できるから。先行者利益が非常に大きいのです。
量子化学計算が成功すると、創薬や材料の開発が急速に進むようになると期待されています。ビジネスとの関わりでいうなら、暗号を破るよりもこちらを実現したほうがマーケットははるかに大きいです。それが5年、10年のスケールで起きるかもしれない。
遠藤 5年というとすぐそこですね。アニーリング方式とビジネスはどうですか。
西森 こちらもいろいろとアルゴリズムが開発されていて、スコープを広げる努力はされつつあります。アニーリング方式では、実用化されたマシンがすでにありますので、いろいろ試せることが強みです。
フォルクスワーゲンがD-Waveのアニーリングマシンを使って行ったカーナビの効率化の実証実験の話は有名ですが、ほかにも、われわれの社会生活に密接な課題が最適化問題を解くことで解決できる例が、実はたくさんあります。アニーリング方式の開発に刺激されて、最適化問題をビジネスに役立てようという試みが、さまざまなところで出てきています。
国によって異なる量子コンピューターの開発状況と社会背景
遠藤 アメリカ、カナダ、中国、欧州(EU)が量子コンピューターの開発に力を入れていますが、国や地域によって研究内容や研究費用にどのような違いがあるのでしょうか。また、アニーリング方式を発明した日本の状況も教えてください。
西森 まずアニーリング方式では、カナダのD-Waveがハードウェアでトップを走っています。商用化されているマシンはそこだけ。アメリカと日本、EUで国家プロジェクトが走っており、それぞれ独自のアニーリングマシンを作ろうとしていますが、商用化には至っていません。アメリカはこれまで3年ほどかけてきて、今後も5年は続けるとしていますが、5年後にD-Waveと同程度のものができているとは、私には思えません。D-Waveは商用化から10年、会社設立から20年経っており、かなり先行しています。
遠藤 D-Waveはそこまで独走態勢なんですね。
西森 はい。ですので、基本的に各国が開発を進めているのは、主にゲート方式の量子コンピューターです。
中国は、開発がかなり進んでいると聞いています。国家プロジェクトもあるようですが、情報がはっきりとは表に出てきません。主に量子通信、量子暗号に力を入れているらしく、主に軍事用途だと考えられます。兆単位の資金をつぎ込んでいるとも聞きます。また、アリババも独自に開発していて、それ以外にも関心を示している企業は少なくないようです。
アメリカでは、20年ぐらい前から複数の国家プロジェクトを継続的に立ち上げ、年間数百億円単位の投資をずっとしてきていると聞いています。国家プロジェクトの役割は基盤となる技術の確立で、商用化は企業に任せるのがアメリカのスタイル。グーグルやIBM、ハネウェルなども、最初から自分たちだけでやっていたわけではなく、国家プロジェクトと密接に関連しながらやってきたものが表に出てきているということです。
欧州もEUとして、あるいはEU各国がかなり力を入れています。日本は国としてのプロジェクトは数年前から始めたため、全然追いつけないというのが現状です。
遠藤 聞いていると、予算の大小もさることながら、基盤となる技術の研究開発に対して早いタイミングから予算を投じて動くことが重要だと感じます。人材という視点ではいかがですか。
西森 RSA暗号を破るといわれるShorのアルゴリズムを作ったピーター・ショアという人は、もともとはコンピューターサイエンスが専門の人なのですが、彼が大学生の時に量子力学の講義を聞いて非常に影響を受けたといっています。普通、コンピューターサイエンスでは量子力学は教えませんが、アメリカは副専攻などの専門をまたぐシステムがいろいろあって、他分野の勉強をしやすい環境がある。ここはアメリカの強みかもしれません。
中国は、やはり人材が非常に豊富です。人口が絶対的に多いこともありますが、アメリカに多数の中国人がいて、彼らを呼び寄せている。留学生のほか、大学や研究所にいる非常に高度な技術を身につけた人材と共同研究する、または彼らを引っ張ってくるという形で急速に力を伸ばしています。5、6年前、中国はこの分野ではほとんど存在感がありませんでしたが、あっという間に日本を抜き去りました。
日本は、国として研究に力を入れ始めたタイミングの問題もありますが、アメリカや中国のように開発の目的が軍事や安全保障ではないため、それに比べるとモチベーションに欠ける部分があるのでしょう。人材の交流という意味でも、基本的に国内で閉じているので、そこが弱みになっていると思います。
コロナ禍で前例が壊れかけた今は良い時代
遠藤 先生がお考えになる「イノベーター」の条件とはどのようなものですか。
西森 ある意味での「鈍感力」。周りや流行を見ないで、自分の考えや信念にこだわり続けられること。そういうものがないと、非常に大きいことはできないと思います。ただ、よく日本人は周りの空気を読みすぎるといわれる一方で、最近は若い人の間でも面白い人が出てきているように私は思います。私の研究室からもベンチャーが立ち上がったり、変なことを始めたりしているのが出てきています。
今、新型コロナウイルスによる閉塞感はありますが、見方を変えると、前例が壊れかけているいい時代じゃないですか。こういうインタビューでも、昔だったら直接来て話をしないといけない雰囲気でしたよね。
遠藤 そうですね。失礼に当たるということで。
西森 でも今はWebで十分だというふうに常識が変わった。こういう前例が壊れた時代というのは若い人にとって非常に大きなチャンスだと思います。よい時代が巡ってきたのだと、ポジティブに捉えてほしいです。
日本が戦後、急速に発展したのは、戦争で上の世代の人たちが公職から追われて、若い人が実権を握っていったからだという話があります。足かせがなくなって、手探りではあるけれど、自分の頭で考えられて、周りの空気を気にせずに好きなことをやれたと。
戦争に比べればコロナ騒ぎは小さいですが、かなりの常識が壊されつつある。ぜひそこをうまく利用して、若い人に頑張ってほしい。そういう意味で、今回のInnovators Under 35 Japanは世の中が変革する、最適なタイミングでのアワードだと思います。
遠藤 最後に、そのInnovators Under 35 Japanに関心を持つ若い人たちに、先生からひと言メッセージをお願いします。
西森 私のような年配の人間が何を言っても気にするな、ということでしょうか。もう、好きにやってくれと。
遠藤 それは何たる論理矛盾(笑)。
西森 ええ。でも「気にするな」ということだけは、気にしてほしいですね。
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- 畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
- フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。