2月半ば、カリフォルニア州で持病のある女性が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の検査で陽性と判定された。海外渡航歴もなく、感染者と接触した覚えもなかった。
このニュースを聞いたカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の分子生物学者であるネヴァン・クローガン教授は、すぐに事の重大さを察知した。これが米国初の市中感染の例だった。「あの時点で、感染は全米に広がるだろうと考えました。既にあらゆる場所で起こっていると思ったのです」。
クローガン教授は、自身の研究室で、病気の遺伝子がヒトの体内のタンパク質とどう作用するかを研究している。当時研究室には、新型肺炎の原因となる新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)を研究するフルタイムの研究員は2人しかいなかった。クローガン教授はすぐに研究室に行き、全員を集めると、今やっている研究を中断して直ちに新型コロナウイルスの研究に取り組むよう指示した。
クローガン教授の研究チームはわずか数週間のうちに、新型コロナウイルスの29のタンパク質のうち26を精製し、結合する人間のタンパク質を特定し、新型コロナウイルス感染症の治療に有効と思われる既存薬の候補を提案した。通常なら数年かかる作業であっただろう。提案された薬のうち69品目は、すでに米国食品医薬品局(FDA)の承認を受けているか、治験に入っている。既存薬を新型コロナウイルス感染症の治療に転用することは、新しい薬を一から開発するより速いとクローガン教授は説明する。
同様の取り組みをしているのはクローガン教授のチームだけではない。世界保健機関(WHO)は、「ソリダリティ(Solidarity、団結)」と名付けた世界規模の治験を開始し、新型コロナウイルス感染症に効き目のある既存薬探しに乗り出した。有力候補となるのは、HIV、マラリア、エボラ出血熱、炎症などの治療に現在用いられている薬だ。
新薬開発は大変な労力を伴い、市場に投入できるまでに平均10年という期間を要する。新型コロナウイルスのワクチンも、急ピッチで開発したとしても12カ月から18カ月はかかるとされている。人間への試験がすでに済んでいる薬であれば、人体に害がないことはわかっている。新型コロナウイルス感染症にも効くかどうかが不明なだけなので、製薬会社はすぐに治験をはじめられる。それがまさにカナダのバンクーバーにあるアルジャーノン・ファーマスーティカルズ(Algernon Pharmaceuticals)がやっていることだと同社のクリストファー・モロー最高経営責任者(CEO)は話す。同社は現在、循環器や神経系の疾患に使われる同社のイフェンプロジルが新型コロナウイルス感染症の治療に有効かどうかを研究している。もし有効性が確認されれば、8カ月から10カ月で大量供給が可能になるという。
「将来を見据えて、永遠に変異を続けるコロナウイルスとのすべての戦いに勝利しなければなりません」
こうした治療法のなかには、新型コロナウイルス感染症だけでなく、次に起こり得るパンデミック(世界的な流行)にも役立ちそうなものもある。サンフランシスコのスタートアップであるディストリビューテッ・バイオ(Distributed Bio)は、元々2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルス用に作られた抗体の改変に取り組んでいる。過去18年間変化しなかったウイルスの一部を標的とすることで、将来出現するかもしれない別のコロナウイルスにも有効性が期待されるかもしれないと、同社のジェイク・グランヴィルCEOは説明する。「それが私たちの目標としていることです。現在のアウトブレイクを解決するだけではありません。将来を見据えて、永遠に変異を続けるコロナウイルスとのすべての戦いに勝利しなければなりません」。
ツールにしろ薬にしろ、既存のもので使えるものはすべて使うべきであるとの考え方に、グランヴィルCEOやクローガン教授をはじめとする多くの専門家が同意する。WHOが試験する薬のどれかひとつでも有効性が確認されれば「喜ばしい」とグランヴィルCEOは言う。「それが治療薬への最短ルートです」(同)。もっとも、次にどんな感染症がパンデミックとなるかを予測するのは極めて難しいため、新型コロナウイルス感染症向けに現在実施されているすべての取り組みが次のパンデミックにも有効かどうかはわからない。
「パンデミックの可能性が考えられる既存のウイルスはいくらでもあります」と話すのは、コロンビア大学のウイルス学者であるアンジェラ・ラスムーセン博士だ。「コロナウイルスももちろんそうですが、まだ発見されていないウイルスもきっとたくさんあるでしょう」(同)。とは言うものの、次のパンデミックが別の型のコロナウイルスによるものになれば、今回の新型コロナウイルス感染症で有効とされた薬を転用することはさほど難しくないかもしれない。少なくとも、可能性のある治療薬の候補を絞りやすくなることは確かだろう。
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- ウーダン・ヤンは、シアトル在住のフリーランス・ジャーナリスト。