10年前、私は海に逃げた。進行性の認知症を患っていた義父は、介護施設に入居していた。私には書くべき本があった。母が安全だという十分な確信を得た私は、コンテナ船「マースク・ケンダル(Maersk Kendal)号」に乗り込み、9288海里(約1万7200キロメートル)の旅に出た。
5週間かかるヨーロッパからアジアまでの航海で、私は唯一の乗客だった。マースク・ケンダル号はクルーズ船ではない。乗客を楽しませる娯楽も、おしゃれなレストランも、映画館もない。さらに2010年当時、貨物船にはWi-Fiもテレビもなく、通信手段といえば1日1回船長のアカウントからダイヤルアップ接続でメールを送るぐらいだった。衛星電話もあったが料金が高く、私は母の様子を知るために1度だけ利用した。友人たちは、私が何をするつもりなのかと尋ねた。そんなに長い時間、何をして過ごすつもりなのか、と。
現在の私は、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のせいで自宅で孤立している。本当の意味で自由が制限されるのは、これが2度目だ。もしかしたら、航海での経験が今回に活かされているのかもしれない。
友人たちは、海の上で過ごす終わりなき日々は、避けがたい孤独と孤立を意味するものだと思っていたようだが、私は逃避だと考えていた。何冊もの本を持ち込み、私には書くべきことがあった。それに加えて、私には仲間がいた。船には21人の船員が乗っていた。だが、彼らがどのように私を受け入れてくれるのか、私が安心して旅を続けていけるのかは分からなかった。
初日は幸先の悪い始まりだった。何時間も1人で過ごし、船の中をさまよい、他の人がどこにいるのかを探した(彼らは港にいるときと同じく、忙しいということが分かった)。この冷ややかな歓迎ムードは、夕食時にはさらにきついものになった。誰も話しをしないのだ。会話をしようという私の努力は、死んだクジラのように沈んでいき、私は不安な気持ちを抱えて自分の船室に戻った。これからもこんな日々が続いていくなら、1週間も持たないかもしれないと思った。
歴史を通じて、数多くの船乗りたちが海で狂気に陥ってきた。現在でも、年間2000人もの船乗りたちが死ぬか、殺されるかしている。そのうち、何人が自殺したのかは分からない。他と比べれば、マースク・ケンダル号は良い船だった。小さな図書館(蔵書の大半はゴミみたいなフィクション)があり、ランニング・マシンやエアロバイク、ローイング・マシンが備えられた小さなジムがあり、任天堂のWiiが接続されたテレビとカラオケが置いてあるラウンジが2部屋あった。だが、欠けていたのは人づき合いだった。バーはなく、アルコール類は禁止されていた。後部甲板に備え付けられているバスケットボール用のリングは、使われていなか …