中国、韓国、米国の中央銀行が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のアウトブレイクの真っ只中で、汚染された可能性のある現金の「検疫」を決定したとき、その意味は明白に思えた。つまり、紙幣が病気を広めているに違いない、ということだ。
もしそれが本当なら、それは最終的にキャッシュレスに移行するための単純な議論のようにも思える。デジタル決済会社と多くの業者、そして一部の政策立案者でさえ、利便性と簡便さの名の下に紙幣や硬貨から離れようとしている。病気が蔓延するリスクを減らすことは、もう1つの理由づけとなるだろう。
中国の大手商業銀行である中国銀行の前総裁リフイ・リー(李 礼輝)は最近、中国人民銀行は伝染病を考慮して、物理的な現金を置き換えるものとして計画中のデジタル通貨のリリースを加速すべきだと主張した。そして先週、世界保健機関(WHO)のスポークスマンは、現金がコロナウイルスの感染を広げるかと尋ねられたとき、できれば「非接触決済を使用するのは良い考えです」と英国の新聞デイリー・テレグラフ(Daily Telegraph)に語った(後にWHOが明らかにしたところによると、これは実際にはコロナウイルスに固有の指針ではなく、現金に関する公式の警告は出していないという)。
しかし本当のところ、現金の使用をやめることで違いが出るという証拠は、少なくとも新型コロナウイルス感染症の場合は、ほとんど存在していない。それでも、WHOが非接触決済に言及したことは、現金で商品やサービスを購入している多くの人々にとっては重大な結果をもたらす可能性がある。このことは、WHOが非接触型決済に関する方針を迅速に再検討した理由の説明になるかもしれない。
他の種類のコロナウイルスを含む感染性ウイルスは、金属、紙、プラスチックを含む無生物の表面で数時間から数日残存できることが分かっている。予備研究が示すところによると、新型コロナウイルスはダンボールの上で丸1日、鋼およびプラスチックの上で最長3日間残存するという。また、実験室ベースのシミュレーションが示したところでは、他の種類のウイルスは紙幣や硬貨上で数日間残存するだけでなく、感染性を維持できるという。
だが、病原体が無生物の表面で残存するだけでは十分ではない。1ドル札の上にあるウイルス粒子がヒトに感染するためには、「主要な感染経路」に従う必要がある、とミシガン大学の疫学教授であるジョセフ・アイゼンバーグ は言う。新型コロナウイルス感染症の場合、他の人が咳をしたりくしゃみをして空中に撒いた粒子を吸い込んだり、ウイルス粒子に手で触れてから目、鼻、口に触れたりすることで感染するようだ。アイゼンバーグ教授によると、このウイルスがあらゆる種類の無生物の表面からヒトに感染する能力がどのくらいあるのかは分かっていないという。
米国疾病予防管理センター(CDC)は次のように述べている。「ウイルスが付着した表面または物体に触れてから、自分の口、鼻、または場合によっては目に触れることで、新型コロナウイルス感染症にかかる可能性がありますが、これはウイルスが広がる主な方法とは考えられていません」。
しかし、このメッセージによって「ウイルス汚染された」ドル紙幣に対する恐れは鎮まっていない。おそらく中央銀行の検疫が拍車をかけたのだろう。ブルームバーグによると、米連邦準備理事会(FRB)は、現金を使用するリスクは極めて低いことを保証する声明を出すよう業界団体から要請されたが、抵抗を示した。
実際、どのような形の金銭も何らかの種類の感染源であった証拠はない、とワシントン大学公衆衛生学部の微生物学者であるマリリン・ロバーツ教授は言う。ロバーツ教授は、新型コロナウイルスに感染しそうな経路を考えるとき、貨幣に焦点を当てるとより重要なポイントを見逃してしまうと主張する。「混雑した劇場に行くことはないですか? レストランやコストコはどうでしょう? 新型コロナウイルスは、支払い方法よりも人々への接触から受け取る可能性の方が高いのです」。
ロバーツ教授は、中央銀行による現金の検疫を、シアトル地域のファーストフードチェーンがアウトブレイク中は現金での支払いを止めるよう顧客に要求したことと比較する。いずれの対策も、感染症の広がりを防ぐことを示する証拠はほとんどない。レストランの場合であれば、レジ係と顧客の間にガラスの壁を置く方がよほど効果的だろうとロバーツ教授は言う。「率直に言って、お金や支払い方法に焦点を当てるのは間違ったメッセージだと思います」。
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