米国の物理学者であるフリーマン・ダイソン博士が2月28日死去した。享年96歳だった。ダイソン博士は同世代を代表する重要な物理学者の一人であり、科学、テクノロジーと世界の関係についても広く執筆した。1970年代と1980年代には折に触れてニューヨーカー(The New Yorker) に寄稿し、長年にわたって ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス(The New York Review of Books)にも頻繁に寄稿していた 。またダイソン博士は、第二次世界大戦における自身の役割に関する 2部構成のシリーズをはじめとして、 MITテクノロジーレビュー(米国版、リンク先は英語)にも記事を残している。
以下にダイソン博士の多くの著作からの引用をいくつか掲載する。これらは決してダイソン博士の関心のすべての範囲を反映したものではなく、氏の活気ある鋭敏な精神を垣間を見ることができる、ごく一部にすぎない。
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宇宙開発競争について(英国の家族に宛てた手紙、1958年1月1日)
「スプートニクについての独創的な意見は何もありません。楽しい気持ちになります。私にとって明らかなのは、ソビエト政府は誰彼かまわず爆弾を投じるつもりはないが、急速な科学的および産業的成長によって地球を支配しようとしているということです。刺激された米国人は、普通ならお金がかかり過ぎてやらないような大きなプロジェクトに取り掛かるでしょう。月と惑星の植民地化がそれらの1つになることは間違いありません。私はいつかそれに関与することになるでしょう。この展望は刺激的で希望に満ちているように思えます」。
テクノロジーとイデオロギーについて(『宇宙を乱すこと(Disturbing the Universe』/ニューヨーカー、1979年8月6日)
「突然爆発して帝国の崩壊を引き起こす知的おもちゃで遊んでいるのは科学者だけではありません。哲学者や預言者、詩人もまたそうです。長い目で見ると、科学者によって生み出される技術的手段は、これらの手段が活用されるイデオロギーの目的に比べたらさほど重要ではないでしょう。テクノロジーは強力ですが、世界を支配するものではありません」。
遺伝子工学について(『すべての方向への無限(Infinite in All Directions)』、 1985年)
「遺伝子工学の理論的に起こりうる危険が現実になるとは考えていません。遺伝子工学の恩恵は大きく重要だと思います。(中略)熱帯林を破壊して農業用の土地を作る代わりに、森林をそのまま残してさまざまな有用な化学物質を合成するように木々を改良すれば良いでしょう。乾燥した土地の広大な領域は、農業または生化学産業のいずれかにとって実り豊かなものになり得ます。ジャガイモは木では成長できないという物理の法則や化学の法則はどこにもありません」。
科学の精神的価値について(『反逆者としての科学者(The Scientist as Rebel)』/ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス、1995年5月25日)
「科学の超越を信じる歴史家は科学者が知性の超越的世界に住んでいると描写し、その世界は社会的世界の移ろいゆく、堕落しやすい、世俗的な現実より優れていると表現しました。しかし、そのような高貴な理想に従うと主張する科学者は、宗教にかこつけた詐欺師のように冷笑されるだけでしょう。科学者がテレビに出てくる宣教師や政治家と同じように、権力とお金による堕落の誘惑に勝てないことは誰もが知っています。 科学の歴史の多くは、宗教の歴史のように、権力とお金によって引き起こされる闘争の歴史なのです。
しかし、それだけで話は終わりません。正真正銘の聖人は、時に重要な役割を果たします。これは宗教においても科学においても言えることです。アインシュタインは科学の歴史において重要な人物であり、超越を固く信じていました。アインシュタインにとって、ありふれた現実から脱出する方法としての科学は見せかけではありませんでした。アインシュタインほどの神の恩恵を受けていない多くの科学者にとって、科学者であることの一番の報酬は権力とお金ではなく、自然の超越的な美しさを垣間見るチャンスを与えられることなのです」。
原子力エネルギーについて(『想像上の世界(Imagined Worlds)』、1998年)
「彼らは核エネルギーが失われないようにゲームのルールを書きました。コスト計算のルールは、原子力発電のコストが、テクノロジーを開発して燃料を製造するためになされた巨大な公共投資を含まないように書かれたのです。原子炉の安全性に関する規則は、もともと米国海軍が開発したタイプの潜水艦の推進装置となる軽水炉が、定義上は安全だとされるように書かれました。環境の清浄度に関する規則は、使用済み燃料と消耗した機械の最終処分については考慮されないように書かれています。
原子力エネルギーの推奨者は、そのように書かれた規則に基づいて、自身の信念を裏付けています。これらの規則によれば、原子力エネルギーは確かに安価でクリーンで安全でした。 規則を書いた人々は大衆を欺くつもりはありませんでした。 彼らは自分自身を欺いた後、自らの根強い信念に相反する証拠を抑制するという習慣に陥ったのです」。
進化と自由意志について(『生命の起源(Origins of Life)』、1999年)
「5歳の一卵性双生児の祖父として、遺伝子の力とその力の限界を毎日見ています。ジョージとドナルドは身体的にとてもよく似ていて、お風呂の中では区別がつかないほどです。二人は同じ遺伝子を持っているだけでなく、生まれたときから同じ環境を共有しています。それでも、二人は異なる脳を持ち、違う人間なのです。生命が遺伝子の圧制から逃れられるのは、遺伝的に決定されていない神経接続で脳が進化するからです。脳の詳細な構造は、部分的には遺伝子と環境によって形作られており、部分的にはランダムです。
以前、双子が2歳のときに、彼らのお兄ちゃんに二人をどうやって区別するか尋ねると、『ああ、それは簡単だよ。噛むのがジョージだよ。』と答えてくれました。双子が5歳になった今、走ってきて私に抱き着くのがジョージで、距離を保つのがドナルドです。彼らの脳内のシナプスのランダム性が、ジョージがジョージたる、ドナルドがドナルドたる創造的な原理なのです。(中略)ジョージとドナルドは異なる人間です。なぜなら二人は、それぞれの頭の中に神経学的ジャンクの異なるランダムサンプルを持って人生を歩き始めたからです。ジャンクの除草が完結することは決してありません。大人の人間は、5歳の少年よりもほんの少しだけ合理的です。 除草しすぎることは魂を破壊してしまいます」。