伝説によれば、ギリシャ神話のキュクロープス(単眼の巨人族)に目が1つしかないのは、将来を見通す能力を得ることと引き換えに、片方の目を冥府の神ハーデースに渡したからだ。しかし、ハーデースはキュクロープスを騙した。キュクロープスが見ることができた未来は、自分が死ぬ日だけだったのだ。キュクロープスは、自分が死ぬ日を知りながら何もできないという、終わりのない拷問を味わいながら生きていかなければならなかった。
古代より、老いは避けがたく、食い止めることのできない自然の摂理だと考えられてきた。長い間、たとえ明らかな病状があった場合でも、老人であれば「自然死」だと言われ続けてきた。古代ギリシャの医学者ガレノスは、2世紀にはすでに、老化は自然なプロセスだと述べていた。
人間が老化によって死ぬことを受容したガレノスの考えは、それ以来支配的だ。我々は老化について、高齢者には一般的であるがん、認知症、老衰などのすべての症状が累積したものであると考えている。しかし、ここで示されているのは人間は病気になり死んでいくということであり、死を回避する方法については触れられていない。我々が自分の運命をコントロールできないという点は、キュクロープスとそれほど変わらないのだ。
しかし、ますます多くの科学者が、老化についての基本的な考え方に疑問を呈している。もし、死に立ち向かい、死を妨げることができるとしたら? もし、高齢になった我々を襲う一連の病気が、個別の病気ではなく単なる老化の一症状だとしたら? 老化それ自体を病気に分類できるとしたら、何が変わるだろうか?
ハーバード大学医学校の遺伝学者であるデイビッド・シンクレア教授は、老化を病気と考える運動の最前線にいる一人だ。医学は老化を、高齢に伴う自然な結果ではなく、それ自体を状態としてみなすべきだと、シンクレア教授は言う。シンクレア教授の考えでは、高齢とは単なる病状であり、他の病状と同様に、適切に処置することが可能なものだ。老化に対し、これまでとは別の分類の仕方をすることで、老化に伴う病気だけでなく、老化自体を治療できる可能性がはるかに高まるだろう。
「今日の重病のほとんどは老化の一作用です。したがって、老化の分子メカニズムとその治療方法を究明することは最優先事項です」とシンクレア教授は言う。「老化の根本的原因に焦点を当てない限り、我々の寿命をこれまでのように右肩上がりに伸ばしていくことはできません」。
これはわずかな転換だが、大きな意味を持つ。WHO(世界保健機関)などの公衆衛生団体が、ある病気をどう分類し、どう理解するかは、各国政府や基金組織が優先事項を決定する際の手助けとなっている。FDA(米国食品医薬品局)などの監督機関は、ある薬が効力を持つと認可できる症状についての厳しい規則を設けており、どの症状に対して薬を処方・販売できるかを示している。現在、老化はFDAのリストに載っていない。シンクレア教授は、老化をリストに載せるべきだと言う。なぜなら、リストに載らない限り、老化の防止法を発見するための巨額の投資が発生しないためだ。
「主な病気のほとんどを予防・治療できる可能性のある医薬品の開発事業は、本来進むべきペースよりもずっと遅れていますが、これは老化が医学的な問題だと認識されていないからです」とシンクレア教授は言う。「もし老化が治療可能な病状であれば、研究、新制度導入、医薬品開発に資金が流れ込むでしょう。現在のところ、どんな医薬品メーカーもバイオテクノロジー企業も、老化を病状として研究しないのは、制度として老化という病状が存在しないからです」。シンクレア教授は、老化は最大の市場だと言う。
だが、「アンチエイジング」薬品に資金が殺到するのは社会として優先順位が間違っていると心配する人たちもいる。
老化について話すときは「科学的な論議が、商業的または政治的な論議に変わってしまいます」と話すのは、オランダ・ライデン大学医学センターの分子疫学者で老化研究を務めるエリーネ・スラグボーム教授だ。老化を単なる治療可能な病気だと考えると焦点が健康的な生活からずれてしまう、とスラグボーム教授は言う。彼女が主張しているのは、高齢者の慢性病の予防のために、若年または中年の間に健康的な生活習慣を身に付けるよう、政策立案者や医療従事者が推奨すべきだということだ。これを実行しなければ、「人々が(老いるにつれて)高齢で病気になるか、急速に老い始めるポイントに達して治療せざるを得なくなるまで、誰にも何の対処もできない事態になります」。
ほかにも、老化を病気とみなす仮説には、社会一般からの反対意見がある。高齢の人々に病気のレッテルを貼ることは、高齢者がすでに直面している悪いイメージをさらに悪化させるという意見だ。「老人差別は現在、世界で最も大きい差別問題です」と述べるのは、ニューヨークのアルベルト・アインシュタイン医学校の老化研究所(Institute for Aging Research)の所長であるニール・バルジライだ。「高齢者たちは攻撃を受けています。高齢だという理由で解雇されます。高齢者は仕事を得ることができません。こうした多くの問題を抱えている高齢者のもとに行き、今度は『あなたは病気です、違いますか?』と言うのでしょうか。高齢者を支援しようとする人々にとっては、八方塞がりの状況です」。
老化を病気だとみなすことは、必ずしも悪いイメージを喚起するわけではないと考える人もいる。「老化を病気だと呼ぶことに、私は明確に賛成です」と言うのは、ブリュッセルの非営利団体である健康寿命延伸協会(Healthy Life Extension Society)の共同設立者であるスベン・ブルテリースだ。同団体は、老化は「人類の普遍的な悲劇」であるが、その根本的原因を見つけて対処することで、人々の寿命を延ばすことができると考えている。「がん患者に対して、あなたの老化は病気です、と言うことはありません。がんに加えて老化も病気だ、などと言ったら失礼ですから」。
シンクレア教授の「右肩上がりの寿命延長」というコメントがあったが、人間がどれだけ長生きできるかについては異論がたくさんある。根本的な問題は「人は死ななければならないのだろうか?」ということだ。もし老化を病気として扱い、治療できるのであれば、人は何世紀も、1000歳までも生きられるのだろうか?それとも、超えられない限界があるのだろうか?
自然現象から推測するに、永遠の命はあり得ないことではないかもしれない。おそらく最も有名なのは、北アメリカのイガゴヨウマツで、生物学的に不死だと考えられている。斧で切り倒されたり、雷に打たれて枯れることはあるが、平静な状態で放っておけば、通常は年月が経ったからといって倒れることはない。イガゴヨウマツの中には樹齢5000年と考えられるものもあり、文字通り年月で枯れることはない。イガゴヨウマツの不死の秘密は分かっていない。海の生き物などの他の種にも、生物学的に不死だと考えられる証拠を示すものがいる。
こうした自然界の実例を見て、多くの人が、人間の寿命は正しい医療行為によって劇的に伸ばせると主張するようになった。しかし、2016年にネ …