マステン・スペース
世界でもっとも小さな
ロケット企業の物語
マステン・スペース・システムズ(MSS:Masten Space Systems)のデイブ・マステン最高技術責任者(CTO)は、砂漠の真ん中でわずかな資金をもとにロケットを作っている。2004年の創業以来、幾度もの危機を乗り越え、月を目指し続けるマステンCTOらの挑戦の軌跡。 by Haley Cohen Gilliland2019.09.04
デイブ・マステンは、コンピューターの画面を見つめていた。目の前には、ドライバーやティーバッグ、使い古してボロボロになった物理学の専門書が無造作に置かれている。「誰か、一緒に見ないか?」と声をかけるが、返事はない。2019年4月11日木曜日、正午になるところだ。マステンは、南カリフォルニアの高地砂漠にあるモハーヴェ空港兼宇宙港に構える、通常よりも4倍大きいトレーラーハウスを転用したみすぼらしいオフィスを見回したが、誰もいなかった。
珍しいことではない。共同創業者でもあるマステン最高技術責任者(CTO)が2004年に設立したロケット開発会社マステン・スペース・システムズ(MSS:Masten Space Systems)の全従業員は15人だ。モハーヴェを拠点とする7人は、概して胸に「I need my space(宇宙が必要だ)」などと書いてあるTシャツを着た若者で、机で方程式を解いたり、NASAなどの顧客向け提案書を練ったりしている。しかし、そうした作業よりも、ほこりっぽい駐車場の向こう側にある米軍の格納庫を転用したスペースでロケットをいじり回していることの方が多い。
マステンCTOは画面に向き直った。民間資金を得たイスラエルの非営利組織「スペースIL(SpaceIL)」が開発した月探査機「ベレシート(Beresheet)」の様子をストリーミング中継していた。2019年2月、ベレシートはスペースX(SpaceX)のファルコン9(Falcon 9)ロケットによって打ち上げられ、4月第1週、月への着陸準備のため、月を周回していた。ベレシートが問題なく着陸すれば、民間の月着陸船としては初の月面着陸となっただろう。
ベレシートが降下していく様子がスペースILのネット中継に映し出されると、別ウィンドウでチャットするマステンCTOに緊張感が走った。目標着陸時刻の数分前、ベレシートの宇宙船の加速度と回転を測定する慣性計測装置との通信が途絶えたという声が聞こえた。
マステンCTOは舌打ちした。「失敗だな」。
ベレシートの月面着陸に対するマステンCTOの関心は、個人的なものだった。MSSは、自社の月面着陸船開発で忙しかったのだ。
MSSの着陸船「XL-1」は、長さ3.5メートル、幅3メートルを超えている。ルナ・カタリスト・プログラム(Lunar Catalyst:月面着陸に必要な技術を民間企業と共同研究するNASAのプログラム)を通したNASAからの(資金的支援ではないが)技術支援を受け、MSSは100キログラムの科学物資を月面に運び、12日間滞在するための月面着陸船を開発した。ロケット用推進剤が入った球状の3つのタンクが、華奢な着陸脚の上でバランスを取り、さらにその上には長方形の太陽光パネルが備え付けられ、まるでマッチ箱を背負った巨大なアリのように見える。タンクには、独自配合の数種類の非毒性の液体が入れられ、それらが混ざり合うと自発的に着火し、4つのメインエンジンと16の軌道修正用エンジンの動力源となる。これらのエンジンはすべて、この奇妙な形をした装置の側面にぶら下がっている。燃料を含まない総重量は675キログラムで、燃料搭載時の総重量は2675キログラムとトヨタのピックアップ・トラック「タコマ(Tacoma)」とほぼ同じだ。2018年後半、XL-1の簡素な構造と低コストが評価され、MSSはNASAの「商業月面物資輸送サービス(Commercial Lunar Payload Services:CLPS、『クリップス』と読む)」プログラムに参加する9社のうちの1社に選ばれた。
宇宙に行くには、これまで多額の費用がかかってきた。月着陸に関しては、さらに高額だ。CLPSに選ばれた企業の1つであるアストロボティック(Astrobotic)によれば、月面に到達するためには、1キログラムあたり120万ドルかかる(一般的に、他社はこういった数字の公表を控えている)。NASAは、最近(2019年3月)トランプ政権によって公表され驚かされたデッドラインの2024年までに、月への有人飛行を目指している。しかし、CLPSは民間企業が低コストで迅速に月まで到達できるかどうかを証明する試みだ。NASAは、月に輸送する物資への資金は提供するが、月に到達する宇宙船の設計や建造への資金提供はしない。CLPSは、月面配送サービスとしての機能を期待されているのだ。
MSSは、選定された9社の中で最も規模が小さい。最も規模が大きいのは、10万人の従業員を抱え、時価総額960億ドルを誇るロッキード・マーチン(Lockheed Martin)だ。NASAのCLPSへの2019年度予算は8000万ドルだが、プログラムが成功すれば、今後10年間で合計26億ドルに増加する可能性がある。CLPSに選定された企業は、一連の「タスク・オーダー(任務指示)」に関する入札資格が与えられる。ここで選ばれなければ支払いはゼロだ。契約に至ると、一定の金額を受け取り、月に到達する方法を考え出さなければならない。
2019年5月31日、最初のタスク・オーダー(合計2億5000万ドル以上)に3社が選ばれた。2020年9月に打ち上げ予定のオービット・ビヨンド(Orbit Beyond)、2021年7月に打ち上げ予定のアストロボティック、インテュイティブ・マシーンズ(Intuitive Machines)の3社だ。NASAのスティーブン・クラーク探査部門副局長補は、今後はタスク・オーダーによる、当初は年間約2回だったミッションが、2023年までに年間3~4回に増えるといった「良いリズム」になるだろうと話す。いずれのCLPS選定企業も、新しい打ち上げロケットの建造はしない。商用サービス企業のロケットによる軌道までの打ち上げ枠を購入するのだ。たとえば、オービット・ビヨンドやインテュイティブ・マシーンズは、スペースXのファルコン9で地球周回軌道に打ち上げる予定だ。
NASAは1972年以来、月に着陸船を1度も着陸させていない。人間に関しては言うまでもない。輝かしい過去を誇らしげにふり返っても、もはや意味がないのだ。ロッキード・マーチンでCLPSに取り組むデイブ・マロー部長は、「1960年代に残した旗と足跡は素晴らしいものでした。当時それは、国家として重要なことだったのです。ですがいまでは、持続可能なものが必要です」と話す。
健全な産業の発展の一翼を担うほど月旅行への需要があるかどうかは不明だ。それは、着陸船が何を月面で発見するかに、ある程度かかっている。NASA本部の有人月探査プログラムのマーシャル・スミス局長は、月の南極には豊富な水があり、ロケット燃料や宇宙飛行士の飲料水に変換できると考えている。
NASAのベテラン科学者(経済地質学者でもある)で、現在はエアロスペース・コープ(Aerospace Corporation)のディーン・エプラー月主任研究員は、そこまで確信していない。エプラー主任研究員は、月周回衛星はできるかぎり多くの情報を集めたと、エアロスペース・コープがコロラド州コロラドスプリングスで主催したフォーラムで語った。月で水を採掘できるかどうかを見極めるには「実際に、月に降り立たなければなりません」とエプラー主任研究員は話す。「だからこそ、CLPSが重要なのです。やっと始まりました。このプログラムがなければ極めて困難な道になったでしょう」。
アポロ計画の終了以来ずっと、NASAは効率的になろうと奮闘してきた。1992年から2001年までNASAを統括していたダニエル・ゴールディン元長官が「より速く、より良く、より安く」と掲げた取り組みは、現在ではいたるところで嘲笑の的となっている。2度にわたる火星ミッションの失敗や、7名の宇宙飛行士が犠牲になった2003年のスペースシャトル・コロンビア号の空中分解事故などは、この取り組みが原因だと非難されている。「航空宇宙業界にいる私たちは、こういった失敗が『ああ、本当に痛ましい』と思ったのです。同じ間違いを犯すつもりはありません」(マロー部長)。
同じ過ちを繰り返さず、そして資金を切り詰めるため、NASAは民間とのパートナーシップをさらに強めている。2006年初頭にNASAが発表した国際宇宙ステーション(ISS)への物資輸送契約の競争入札に関しては、CLPSに似た概念を用いたと、NASAのローリ・ガーヴァー元副長官は振り返る。
ISSへの物資輸送プログラムの発表を受け、スペースXはファルコン9打ち上げロケットの建造を加速した。開発費は約3億9000万ドルだった。NASAの予測によれば、NASAが打ち上げロケットを開発した場合、コストは17億ドルから40億ドルに膨れ上がる。だが、外部委託が成功を保証するわけではない。民間のサービス会社を活用して地球周回軌道に人間の乗組員を送る最近の取り組みは、NASAのプログラムが直面したのと同様の問題で遅延している。そしてガーヴァー元副長官は、外部委託で実行できるほど、月市場が大きいか疑わしいと疑問を呈している。
CLPSは、極めて合理化された手法を取る。CLPSの提案依頼書は、およそ12ページ。通常NASAとの共同研究に付随する終わりのないコンプライアンス要件を記した数百ページにわたる書類とは対照的だ。手続きの停滞がしばしば遅れの原因となっているため、契約構造は訴訟を起こせないように重要な詳細に絞って作られている。そしてNASAは、中小企業にチャンスを与える努力をしているようだ。MSSほど小さくはないが、最初のタスク・オーダーに選ばれた3社はすべて、航空宇宙業界では小さい方だ。ロッキード・マーチンを除けば、規模の大きい航空宇宙企業はマサチューセッツ工科大学(MIT)の一機関として1932年に設立された非営利法人ドレイパー研究所(Draper)だけだ。
NASAのジョンソン宇宙センター(JSC:Johnson Space Center)で、CLPSを管理しているクリス・カルバート主任技術者は、エアロスペース・コープのフォーラムで、「NASAで働く私たちが、プロセスをどのように変えるかを上層部に伝える絶好の機会かもしれません」と話した。ロッキード・マーチンとNASAに10年間ずつ務めたインテュイティブ・マシーンズのトレント・マーティンはもっと感情的だ。「本当に長い間、NASAの周りで仕事をしてきましたが、これまでとはまったく違います」。CLPSが構想通りに機能した場合、ロッキード・マーチンやドレイパー研究所のような大企業でも、コスト面やスピード面で小規模企業と競合できると証明しなければならないだろう。
ロッキード・マーチンにとって、CLPSは申し分のない契約だ。だが、中小企業にとってはリスクが高い。ディープ・スペース・システムズ(Deep Space Systems)のスティーブ・ベイリー創業者は、CLPSに「会社を賭けている」という。ロッキード・マーチンのマロー部長は、「持続可能な経済活動は、支配力や独占権を持つたった1つの企業からは生まれません。さまざまな長所や短所、さまざまなリスクに対する姿勢、そして率直に言えば、さまざまな成功確率を持つ多種多様な企業から生まれるのです」と話す。
NASAにとって、CLPSの効率的な機敏性は理想的だ。NASAのジム・ブライデンスタイン長官から、かなり下級の担当職員までが、NASAはこつこつと確実な進歩を遂げるよりも、迅速に「ゴールを決める」ことに関心があると述べている。
解決すべき課題や、正確な輸送地点も分からないまま、CLPSの最初のタスク・オーダーがNASAから割り当てられた。「今後2~3カ月以内に、どの荷物をどの着陸船に載せるかを整理します」とカルバート主任技術者は話す。JSCのカルバート主任技術者のチームは7名に満たない。これはNASAの商用サービス企業に対する信頼を表しているという。
CLPSの競合他社の中でも、MSSは一丸となって迅速な実験主義を貫いているようだ。マステンCTOは、迅速な行動、私生活からも分かる性格(最近50歳の誕生日に50マイル、約80キロメートルを走っている)そしてこれまでの職業人生をバネに仕事をしてきた。ロケット・エンジニアとして、最初に設計を固定するのではなく、再使用型ロケットを厳しく試験して微調整していくことを長らく提唱している。つまり、MSSは規模の小さい企業であるにもかかわらず、大企業がしたことのない点を主張できるのだ。MSS初の運用ロケット「ゾンビー(Xombie)」の飛行回数は227回だ。この飛行回数はMSSによれば、ロケットを搭載した機体としては最も多い。
何年もの間、事業の継続が綱渡り状態だったマステンCTOにとって、CLPSは、より安定した未来を指し示している。だが「大金持ちになるわけではありません。航空宇宙産業ですから。実際、航空宇宙産業はそれほど儲かりません」とマステンCTOは話す。彼は自分の名前を冠した企業で資金繰りの心配をせず、ロケット建造に多くの時間を費やせる最高技術責任者(CTO)を選んだ。MSSの最高経営責任者(CEO)を務めるショーン・マホニー(45)は、筋肉隆々の快活な元ラグビー選手だ。マホニーCEOは、新入社員たちをモハーヴェ宇宙港の中央にある失敗に終わったロトン型(Roton:宇宙輸送機で降下時に翼端噴流式の回転翼を使う)の ATV(欧州宇宙機関が開発したISSに物資を運搬する無人宇宙補給機)の展示場所へ連れて行き、こう話すことにしている。「私たちが成功する保証はありません。リスクや欠点を最小化する努力もしていません。私たちは、大きなことをなし得ようとしているのです」。
1970年代にクリーブランド郊外で幼少期を過ごしたマステンCTOは、ロケットをこよなく愛した。教育熱心な両親は、学校を欠席させてテレビでNASAの打ち上げを見せた。
どうしても自分で設計したロケットの実験をしたかったマステンCTOは、弟とともに地元の小学校の隣にある空き地に寝泊まりして、エステス(Estes:1958年に創業したロケット製造会社)のモデル・ロケット(教育などを主な目的としている小型ロケット)をまねたボール紙の筒やバルサ材で作った尾翼を取りつけたロケットを飛ばしていた。ラジコン飛行機の趣味を持つソフトウェア・エンジニアの父に触発されたマステンCTOは、無線制御器一式をロケットの1つに翼を固定したら、飛行機のように着陸できるのではないかと考えた。
最終的にはロケット工学に行き着いたマステンCTOの最初のキャリアは、もっと地球上に限定されていた。結果として大学は卒業までの1学期を待たずして辞めたものの、ゼネラル・モーターズへの部品供給会社で溶接工として働いて得た資金で機械工学を勉強し、その後、短い期間だが陸軍に入隊した。陸軍では、タンクローリーの運転方法を学び、同時に巨大な官僚社会を嫌悪するようになった。
「リスクや欠点を最小化する努力もしていません。私たちは、大きなことをなし得ようとしているのです」
シリコンバレーに居を移した後、マステンCTOは、2002年にシスコが約7億5千万ドルで買収したネットワーク・ハードウェア企業のアンディアモ・システムズ(Andiamo Systems)など、さまざまなテック企業に関わった。マステンCTOは、ジェフ・ベソスやイーロン・マスクほどの金持ちにはならなかったが、ロケットに専念できるほどの資金を稼げた。2004年、宇宙カンファレンスや高性能ロケットに取りつかれたアマチュアグループ「ロケット推進装置実験ソサエティ(ERPS、Experimental Rocket Propulsion Society)」を通して出会った3人とともに、MSSを創業した。
ERPSや他の企業と共有していた窮屈なサンタクララの仕事場にいた当初から、MSSは再利用型の垂直離着陸ロケットに焦点を当てていた。パートナーたちは、この手法がロケット・ミッションのコストを削減し、宇宙に到達しやすくなると心の底から信じていた。「資金は50万ドルありました」とMSSの共同創設者の1人で愛想の良い推進装置エンジニアのジョナサン・ゴフはいう。「飛行実証機を作って、私たちのことを知り合いに納得してもらい、1年かかるか、あるいは長くても2年はかかるかもしれませんが、弾道飛行の資金を集めることにしました。そうすれば、軌道飛行のための資金がそのうち貯まるか、あるいは資金調達ができるかのいずれかだと思ったのです」。
だが、狙い通りにはいかなかった。マステンCTOもゴフ共同創業者も、最初に作った機体は無残な失敗だったと認めている。最終的な試験飛行のとき、着陸場への衝突を防ぐためにクレーンにつながれた機体が離陸すると、制御コードの欠陥により目が回るぬいぐるみのようにくるくると回転したのだった。
一方、マステンCTOとパートナーたちは、サンタクララがつくづく嫌になっていた。仕事場は窮屈で、奥の部屋でロケット点火装置を操作する騒音に、近所からしばしば苦情が来ていた。さらに、民家から離れたところでロケット・エンジンの試験をするため、マステンCTOたちは、「ホットドッグ・スタンド」と名付けた不格好な試験用トレーラーを、2時間かけてダイアブロ山脈まで車で牽引しなければならなかった。
別の小さなロケット企業エックスコア(XCOR)から刺激を受け、MSSは機材をまとめて南を目指した。目的地は、南カリフォルニアの高地砂漠にある小さな町モハーヴェだった。そこは、長い間航空宇宙産業と共存してきたため、住民たちが打ち上げロケットの爆音を聞いても「警察を呼ぶより、応援する可能性」が高かった。
MSSがモハーヴェ宇宙港にある古い海兵隊車両修理ビル(米国海兵隊が第2次世界大戦中に引き取った)に移転する頃には、この複合ビルはすでに航空宇宙ファンの間でよく知られていた。バート・ルータン(航空機設計家)、バートの兄のディック・ルータン(パイロット)、ジーナ・イェーガー(パイロット)が、1986年に初めて燃料補給なしで世界を一周した航空機「ヴォイジャー(Voyager)」を建造したのはモハーヴェの倉庫だった。2004年、連邦航空局(FAA)はモハーヴェ複合施設を「商用宇宙港」に指定した。数日後、バート・ルータンのスペースシップワン(SpaceShipOne)がモハーヴェ宇宙港を離陸し、宇宙へ到達した最初の民間有人宇宙船となった。
それでも最初の頃、マステンCTOはモハーヴェに対して、好感とも嫌悪とも言えない曖昧な気持ちを持っていた。最も近い大都市ロサンゼルスから1時間半の距離にあるモハーヴェの真っ暗な空に浮かび上がる天の川を、マステンCTOは格納庫から見上げて楽しんだ。一方、ほこりっぽい小さなモハーヴェの町は、あまり魅力的ではなかった。複合企業ヴァージン・グループの創業者リチャード・ブランソンやマイクロソフトの共同創業者ポール・アレンのような億万長者が、自分たちのロケットの点検にプライベート・ジェットで駆けつけるような場所から1~3キロメートルのところにあるMSSの近所に住む住民たちは、驚くほどの貧困状態にあり、薬物依存症に苦しんでいた。
とはいえ、マステンCTOは、住民たちとそれほど接点があった訳ではない。モハーヴェへ引っ越してから数カ月間、マステンCTOは、近くに借りたアパートのベッドよりも、質素なオフィスにあった簡易ベッドで過ごすことの方が多かったのだ。
着陸脚が発射台にぶつかり機体が真っ二つになってしまった。もちろん、その様子はすべて録画されていた。
マステンCTOには、悩みが多かった。従業員が扱いにくいロケットの修理に手を焼く中、ディスカバリー・チャンネルの取材班が、新興の宇宙企業に関する番組撮影のためモハーヴェを訪れていた。打ち上げ実験を撮影しようとスタッフが、カメラを回し始めて間もなく、クレーンに吊された状態のロケットが回転して制御不能になった。エンジンを切っても、機体がある程度高い地点まで上昇していたため、クレーンとつながっていた鎖に引っ張られてクレーンが前方へ傾くと、着陸脚が発射台にぶつかり機体が真っ2つになってしまった。もちろん、その様子はすべて録画されていた。「何をやらかしたのか、よく分かっていました」とゴフ共同創業者は思い出す。
その時点で、ゴフ共同創業者の口座には50ドルしか残っておらず、マステンCTOは数年に渡って無給だった。フィンテック関連のコンサルティング会社をアクセンチュアに売却した、ニューヨークの投資家ジョエル・スコットキンからの電話に出た時、2人はちょうど会社を清算し、それぞれ別の道を歩み出そうとしていたところだった。スコットキンは、民間企業が宇宙飛行を変革する可能性に、常に興奮していた。課題が多いにもかかわらず、スコットキンは、酸素と消毒用アルコールを燃料にするMSSの独自のエンジン設計に感銘を受けていた。2007年、スコットキンは、多額ではないが事業を継続するには十分な金額の小切手を切った。
2009年、MSSの状況が好転し始める。
2009年秋、MSSは正確な月面離着陸のシミュレーション能力を評価され、NASA主催の賞金付きコンテスト、センテニアル・チャレンジ(Centennial Challenge)の参加権を得た。コンテスト第1段階の課題は、平らな面にはっきりと描かれた直径10メートルの円への着陸だった。MSSはゾンビー・ロケットで参加し、テキサス州の小さなスタートアップ企業アルマジロ・エアロスペース(Armadillo Aerospace)に次いで2位となり、15万ドルを獲得した。
数週間後に実施されるコンテストの後半部分の獲得賞金は100万ドルで、月に似せて作られた岩や穴の多い場所への着陸が課題だった。MSSはより大型でより強力なアルミフレーム・ロケット「ゾイー(Xoie)」を使うことにした。コンテストの1カ月前にはロケットの準備が完了していなければならなかったが、ただの「部品の山」から始めたため、初期設計は極めて難しかった。週80時間働き、数日間の間におよそ20回の試験を繰り返した。予定されていた飛行コンテストの前夜、ゾイーは時速64キロメートルの強風の中、要求されていた3分間、空中に浮くことができた。「なんてこった、準備が整ったぞ!」と思ったとゴフ共同創業者は振り返る。
だが翌朝、熱心な聴衆が見物する中、ゾイーは浮き上がらなかった。ゴフ共同創業者が、ロケットのエンジンに沿って指を這わせたところ、濡れていた。燃料として使用していたアルコールが漏れ出したのだ。
MSSは、またしても資金不足に陥ろうとしていた。コンテストに落ちれば、おそらく会社を清算しなければならないだろう。「私たちは考えました。確かに、ロケットには30万ドルの費用がかかっているけれど、コンテストに勝てば賞金の100万ドルが手に入ります。そして失敗すれば、どのみち倒産するでしょう。ならば、一か八かやるしかありません」とゴフ共同創業者は振り返る。
最終的に、エンジンに点火することができ、ゾイーは空へうなり声を上げた。ゴフ共同創業者は、肋骨にロケットの轟音が響いたのを思い返す。ゾイーが、モハーヴェ砂漠のジョシュア木(砂漠に生育する常緑樹)やヤマヨモギの上に高く浮き上がる様子を、ゴフ共同創業者は見つめ、そして魅了された。そして、指定された着陸地点に降り立ったのを見たとき、ゴフ共同創業者は狂喜した。
だが、祝賀ムードだったゴフ共同創業者は、すぐにパニックに陥った。ゾイーが着陸するとすぐに、酸素タンクが一気に燃え上がったのだ。
審判員は、翌日の再飛行を許可したが、午前5時には準備が整っていなければならなかった。つまり、燃料漏れの原因を突き止め、黒焦げになったロケットの修理をするのに、12時間弱しかなかった。「ロケットを修理すれば、もう一度飛行できると言われたときですら(中略)私たちはほぼ諦めようとしていました」とコンテストを振り返ったメールの中でスコットキンは述べた。「MSSのほとんどすべての従業員が、歩く屍のようでした」。
ゴフ共同創業者は、フェデックスの営業所に車で駆けつけ、交換用タンクを受け取った。1時間後、ゴフ共同創業者が作業場に戻ると、他社の技術者たちがMSSを手助けしようと、集まっていた。マステンCTOとスコットキンは、ゴフ共同創業者と疲れ切った残りの従業員を家に帰し、他社からの有志の助けを借りて仕事に取りかかった。
アイダホ州の小規模グループ、ハイ・エクスペクテーション・ロケット(High Expectations Rocketry)のキース・ストーモは、タンクの漏洩を止められなければ、漏れたしずくを集めるタンクと、重要な部品からしずくをわきにそらす管を作らなければならなかっただろうと回想する。MSSの従業員たちが、ラバーメイド(Rubbermaid)製のゴミ缶からの漏洩を見つけ、穴を埋め、ゴミ缶を梱包用ワイヤーでしっかりと固定した。一晩で、マステンCTOと数名が、タンクの断熱材に継ぎをして修繕し、欠陥のあるワイヤーを修理し、損傷した配管をつないだ。
マステンCTOたちがすべてを終えたのは、打ち上げ指定時間のほんの数分前だった。チームがゾイーの燃料タンクをイソプロピル・アルコールで急いで満たすと、MSSのベン・ブロッカート打上担当部長は、同僚たちに急いで走るよう命じた。
「私たちは、不格好に太った技術者でした」とゴフ共同創業者は回想する。ブロッカート部長による打ち上げカウントダウンが始まっても、ブロッカート部長や同僚たちは、満タンになったロケット燃料タンクから十分に安全な距離に、まだ23メートル足りなかった。
ゾイーは、必要とされていた3分間の飛行を2回完了し、目標から19センチメートルの平均着地精度で、コンテストに優勝した。それまでリードしていたアルマジロ・エアロスペースの機体は、86センチメートルの着地精度だった。
思いもよらないことに、MSSは100万ドルを獲得した。そして、期待以上の仕事をしたことで一躍有名になった。
2010年5月、イーロン・マスクはスペースXの推進装置、航空電子機器、構造といった、それぞれのチームに、宇宙マニアのWebサイトに投稿されていた映像のリンクをメール送信した。そこには、ゾンビーが垂直に離陸して上昇し、エンジンを(故意に)停めたまま、空中で停止する様子が映し出されていた。ロケットが急降下すると、パイロットはエンジンを再点火し、ロケットは穏やかに地面に降り立った。歴史上初めて、ロケットの垂直離着陸が成功したのだ。NASAは、空中での再点火に成功したことを「弾道高度へ物資を運ぶことへの大きな一歩」だと呼んだ。「かなりすごい!」と、マスクはスペースXのチームに書いた。マステンCTOは、笑みを浮かべながら話す。「私は、誰も『すごい』と思わないうちに、垂直離着陸を始めました。今や、それが『すごい』ことで、誰もが(マスクが)やっていると話題にします。私にしてみれば、『ああ、そうですね。マスクが最初ではないですよ』という感じです」。
この5年間、MSSは何度も重要な契約を取れるもう少しのところまでいった。2014年、米国国防先端研究計画局(DARPA)は、XS-1と名付けた再利用可能な実験用宇宙船を建造する計画に、業界大手のボーイングとノースロップ・グラマンに加え、MSSを選んだ。契約に漕ぎ着ければ、最高1億4000万ドルが支払われただろう。「DARPAは、わざわざ小規模な企業を選定し、小さな企業でも実力のあるなしを証明するチャンスを与える努力をしていると思います」とマステンCTOは当時を振り返る。だが、マステンCTOの力量を買われることも、すぐに資金を調達することも叶わなかった。DARPAはボーイングを選んだのだ。
MSSはまだ大きな契約を獲得していないが、宇宙船を正確に飛行および着陸させる能力は、NASAにとって有用であることが証明された。精度は、月や火星への次世代着陸船が直面する主な課題の1つなのだ。着陸は簡単そうに見えるかもしれないが、「火を噴きながら、どんどん軽くなっていく箒(ほうき)のバランスを指先で取るようなものです」とマホニーCEOはいう。しかも、その指先は滑りやすい状態だという。
「惑星体で調査対象となるような場所が、常に安全で平らな場所とは限りません。これは火星の例からも分かります」とロッキードのマロー部長は説明する。水はクレーターの永久影の中にある可能性が高いため、なるべくクレーターの端に近い地点に着陸して探索したいが、あまりに近いと今度はクレーターの中に落ちてしまうとマロー部長は話す。
NASAのジェット推進研究所(JPL:Jet Propulsion Laboratory)が管理する2020年の火星着陸船は、新しい精密誘導システムを用いて、着地に備えて巨石を避け、平らな場所を探す。2013年と2014年の一連のフライトで、JPLはMSSのゾンビー・ロケットに装備した着陸船の視覚システムの試作機を試した。自律的に着陸する前に、デジタルカメラからの画像と、事前に調べた地図を比べながら誘導し、着陸船は305メートルの高度まで上昇した。2017年、コバルト(Cobalt)と名付けられた新しいNASAのシステムが、MSSの別のロケット「ゾディアック(Xodiac)」に搭載され、打ち上げられた。コバルトの正確なライダー(LIDAR:レーザーによる画像検出・測距)によって、着陸船はさらに高い精度で平坦な場所を見付けられる。
2018年、MSSはパサデナのJPLからそれほど遠くない場所にあるハニービー・ロボティクス(Honeybee Robotics)が製造したサンプル・リターン装置(サンプルを採取して持ち帰る装置)を、商用打ち上げロケットと実験用物資輸送を組み合わるNASAが運営するマッチメイキング・プログラムを通して試験した。「プラネット・バキューム(PlanetVac)」は、本来、惑星着陸機のフットパッド(軟着陸時ために宇宙船の支脚の先端につけた平たい皿状の接地部)の代わりに取りつける小さな真空装置だ。この装置は単純で軽いため、実験に成功すれば、サンプル収集のコストが削減され、信頼性も高まるだろう。
今後発表されるCLPSのタスク・オーダーのうちの1つを勝ち取れば、MSSにとってまったく別の道が開けてくるだろう。だが、MSSが他社と競い合う大きなコンテストは、もはやCLPSだけではない。2019年 5月下旬、NASAは有人月面探査用試作機の開発のために6社を選定したと発表した。CLPSで選ばれた9社のうち、2社が有人月面探査用試作機開発に選定された6社に入っている。ロッキード・マーチンとMSSだ。
ベレシートの墜落から数日後、MSSのエンジニアたちは、ホワイトボードの周りで方程式を解いていた。ジョージア州からモハーヴェに通うマホニーCEOが、トレーラー・オフィスの正面玄関のそばにある木目調のテーブルの上に、黄色くなった1969年7月のアトランタの新聞の束を置いた。7月19日付のアトランタ・コンスティテューションの夕刊には、「宇宙飛行士が搭乗する試験着陸船、アポロが月の重力圏に到達」という見出しが踊っていた。アトランタ・ジャーナルの朝刊の見出しは「人類が月面を歩いた。イーグル号、地球に帰る準備に入る」。
大型貨物トラックもひっくり返されてしまうなど強風で有名なモハーヴェでも、その日は、いつもより強い風が吹いていた。マステンCTOが、駐車場を横切って事務所からロケットの格納庫まで歩く時も、黒いワイヤー・サングラスが飛ばされないように、しっかりとつかんでいなければならなかった。
マステンCTOは、電子錠を開け、隙間風の入る、がら空きの格納庫の中に足を踏み入れた。数々の工具が吊り下げられている壁の前を通り過ぎるとき、複雑に絡み合った3メートルの長さの鋼管やアルミニウム製推進剤タンク、炭素繊維で包まれた圧力タンクのゾンビーを、まるで行儀の良いペットかのように愛おしげに撫でた。ゾンビーという名前は、MSSのインターンたちがむさぼるように見ていた「ネットフリックスのあらゆるすべてのゾンビ映画」にちなんで名付けられた(人口6104人の小さな町モハーヴェでは、夜の娯楽は極めて限られている)。結局の所、なかなか良い名前だった。最終的に、ゾンビーは他のどのロケットより多くの回数を飛行した。あちこちでこぼこになってしまったのが良い証拠だ。
あと1週間半で、MSSはCLPS最初のタスク・オーダーへ入札するため、月面に最初の物資を安全に運ぶ詳細な計画を提出しなければならなかった。MSSのエンジニアたちは、なんとしても締め切りに間に合わせるため、長時間労働を始めていた。「締め切りの2週間前になると、1日に12~16時間も働かなくてはと考え始め」とマステンCTOは話し「締め切り1週間前になると、一部のエンジニアは『死ぬまで眠れない』」と思うようになります」と続けた。
気がかりなのは、計画提案だけではなかった。MSSの唯一の遠隔操作パイロットが他社に引き抜かれ、新たなパイロットの訓練が必要だった。資金問題は、常にマステンCTOの悩みの種だ。MSSの顧客は比較的少なく、規模が小さいため、NASAのような顧客の支払いが遅れると心底困ってしまう。2019年初めの米政府機関の閉鎖時には、マステンCTOとマホニーCEOは自らを無給にして、従業員の給料を支払ったとマステンCTOはため息をつく。「つまり、これまで何度も起こってきたことなのです。私たちは大金を得ました」とマステンCTOは語って、強調するかのように少し間を置いた。「しかし、資金は常にありません」。
月探査機ベレシートが月に墜落してから2日後、イスラエルの起業家であるスペースILのモリス・カーン代表は、新しいミッションをすでに計画していると発表した。ゴールを決めることよりも、シュートを打つ事の方が重要ならば、米国政府は同様の熱意を持って、数々の失敗に対抗しなければならないだろう。MSSは果敢にもこういったリスクを冒すかもしれないが、NASAはどうだろうか?
私は、デイブ・マステンCTOに、ベレシートの墜落についてどう思うか尋ねてみた。結局のところ、ベレシートが墜落したということは、MSSが民間企業として初めて月面着陸ミッションを達成できる可能性があることを意味しているからだ。
「宇宙船が墜落して心が痛みました」とマステンCTOは答えた。「『民間初』ということにこだわりはありません」。何がマステンCTOを駆り立てるのかについて明確に答えて欲しいと頼んだところ、マステンCTOは真面目に答えてくれた。「『月面着陸』、ただそれだけです。そもそもこの会社を作った目的は、月に足を踏み入れることですから」。
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クレジット | SPENCER LOWELL |
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翻訳者 |
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- haley.cohen.gilliland [Haley Cohen Gilliland]米国版
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