日本、米国、欧州、中国ではそれぞれ異なる規制のもとで個人情報データが管理されている。では、インターネットによって国境がなくなったいま、データ管理のルールはどう考えていけばよいか?
東京・六本木で6月24日に開催された「THE NEW CONTEXT CONFERENCE 2019 TOKYO」(デジタルガレージなどが主催)の「データ管理の現状と課題」と題したセッションでは、日米欧中のプライバシー問題に詳しい専門家が登壇。それぞれの地域におけるデータ活用・プライバシー保護の状況を紹介し、将来のデータ管理のあり方について語り合った。
モデレーターは、アーティストであり東京藝術大学准教授でもあるスプツニ子!氏。パネラーとして、MITメディアラボの研究者兼デザイナーのステファニー・グエン氏、内閣官房 IT総合戦略室参事官の吉田宏平氏、武邑塾主幹の武邑光裕氏、ジャーナリストの高口康太氏が登壇した。
プライバシー保護とデータ活用を両立するには
MITメディアラボのグエン氏は、冒頭で「プライバシー・バイ・デザイン」の考え方を紹介し、特に企業・組織が個人からプライバシー情報を取得する際のインターフェース・デザインについて、複数の実例を挙げて解説した。
プライバシー情報には漏洩した場合に起こりうるリスクの深刻度などにより、さまざまなレベルがある。また、プライバシーポリシーやデータの利用目的の提示と同意の取得など手続きが、ユーザーにとって極めて煩雑になっている。それを乗り越えてデータを提供してもらい、同時にプライバシーを保護するためのユーザーインターフェースをいかに構築するべきかをグエン氏は語った。
内閣官房の吉田氏は、日本における個人データ活用と管理について、国が推し進めている「情報銀行(Personal Data Trust Bank)」の取り組みについて紹介した。情報銀行は、個人情報をエージェントに預けて管理・活用してもらうとの発想から生まれたものだ。背景には、Webサービスやモバイルアプリが広く普及し、個人によるプライバシー情報の管理が難しくなっている現状が挙げられる。吉田氏は、データ・エコシステムを適切に回すため、データ、システムのアーキテクチャの共通化やグローバル対応、個人がプライバシー情報を預けるインセンティブ設計などの重要性を説く。
グエン氏は、「文化やコンテキストはとても重要だ」と指摘する。「中国、日本、アメリカ、欧州はすべて違う。その他の国も違う。たとえばベトナムには、『プライバシー』に当たる言葉はない。『孤立』『秘密』を意味する言葉もない。1つの文化に拠ってすべてのルールを考えるべきではない。また、お互いに学ぶべきところもある」(グエン氏)。
スプツニ子!氏は、「世界に違うやり方がある中で、個人は好きなものを選べる自由が保障されているといい」といい、「エコシア(Ecosia)」という検索エンジンを紹介した。ドイツ・ベルリン発のエコシアは、その広告収入の80%を植樹活動を行なうNPOに寄付しているという。「エシカルでサステイナビリティ意識の高い人が率先して使っている。個人データを差し出すとき、そのような観点で提供先のプラットフォームを選べるといい」(スプツニ子!氏)。
吉田氏は、「個人がデータを預ける時に、それがどう活用されているかが分からないから不安になる。個人にとってどのような便益が返ってくるのかを明らかにすることが、情報銀行の基本的なコンセプトの1つになっている」と話し、「便益とは、金銭的なものかもしれないし、サービスの利便性かもしれない。あるいは、そこにエコシアのような『ソーシャルグッドな何か』が並ぶことも考えられる」と付け加えた。
欧州と中国は同じ方向へ向かっている
人々はプライバシーが守られることを切望しながら、なぜ個人データを企業に差し出すのか。武邑氏が「プライバシー・パラドックスには深い意味がある」と指摘するのは、人々は「データの提供により恩恵を受けていると実感している」ことが分かるからだ。
武邑氏は、GDPR施行から1年経ったEUの現状を紹介した。ドイツのメルケル首相は、今年2月の講演で「企業がデータを支配している米国、国家がデータを支配している中国、EUは第3の道として、市民のデータ主権を目指す」と明確に主張したという。さらに武邑氏は、DECODE(分散型市民所有データエコシステム)という欧州委員会のプロジェクトを紹介し、「パラドックスを乗り越えるために、企業に対して道徳的・倫理的義務を課すのではなく、市民に道徳的・倫理的義務を課すという新しい展開が生まれている」と話した。
「ポスト・トゥルース社会で真実が見えないといわれている中、プライバシーだけが真実という状況になっている。データを差し出す時に個人は、便利さを感じ、不安を覚えるだけでなく、『積極的に嘘をついている』との見解もある。2016年の米大統領選挙やブレグジットの投票で、大手メディアのほとんどの予想が覆されたことは、そのことをよく表している。そうした社会のカオスの中で、データ・エコシステムをどう考えるかの議論は、GDPR施行から1年経ったEUの中でも揺れに揺れている」(武邑氏)。
ジャーナリストとして長年、中国をフィールドに活動してきた高口氏は、中国の監視社会化の実態と背景について話した。「画像・顔認識カメラは中国全土で2億台を超える」といった話や、グレート・ファイヤーウォールの話を日本人が聞くと、「中国の監視国家化はすごい! と誰もが思います」と高口氏はいう。しかしいま、「監視という言葉の意味が変わってきている」という。本来の「見張る」という段階から、人々に「監視されていると意識させることで悪事を働かないようにする、パノプティコンのような監視」の段階に。「そして中国は、実はもう一歩先に進んでいる。監視はもう意識されない。むしろ人々は自発的にデータを差し出して、代わりに利益を得ようしている」。
一方で中国でも、データの利活用とプライバシー保護に関して、情報安全技術個人情報安全規範などの法律によって規制がかかりつつあるそうだ。高口氏は、「中国と他の先進国では出発点が違うが、最終的には似たようなところに着地するのではないか」と言う。
これに対し武邑氏は、「皆さんは違和感を覚えるかもしれないが」とした上で、「EUは中国に対しGDPRと同等の十分性認定を考えている。従来、国家による個人データの支配は悪だと考えられてきたが、実は中国のエコシステムは新しい世界を作り出しているということを評価し始めている」と応じた。
「GDPRを補完する『eプライバシー規則』が準備されている。クッキーやビーコンを禁止するような大胆な法案で、ある面では中国の規制よりも強固なもの。この法案は、いまだに審議がストップしている。データの活用によって利便性を感じてる人たちの、いわゆる『幸福』を否定するかもしれないからだ。そう考えると、実はヨーロッパと中国は、新しい関係性を作り出していくのかもしれないという予感がある」。
データ・プライバシーはテクノロジーの問題ではない
グエン氏は、「私たちは、ユーザーに『プライバシーをもっと真剣に考えるべき』と押しつけるべきではない。プロダクトのデザインによって、プライバシーに参加してもらうことが必要」と話す。
高口氏はこれを「民主主義がテクノロジーにどう立ち向かうかの話」といい、「分からないものを、『それでもなんとなく分かって』コントロールするための設計が必要だ」と同調した。
ディスカッションの最後にグエン氏は、「データ・プライバシーは、テクノロジーの問題ではない。なぜなら、法律、デザイン、社会学、民俗学、政治学などさまざまな学際的要素を含んでいるから。これらの境界線を越えて、さまざまな国の幅広い才能を巻き込んで議論することが重要だ」と話した。