今年7月に迎えるアポロ11号の月面着陸50周年に向け、MITテクノロジーレビューでは月面着陸を実現した人々のエピソードを紹介していく。今回は、デニス・セイガーの物語だ。最新記事『アポロ11乗組員が月に残した人類初の「足跡」、影の立役者の物語』もぜひ併せて読んでほしい。
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宇宙空間において、計算は常に正確でなければならない。つまり大抵の場合、誰かに計算結果をチェックしてもらう必要がある。アポロ計画における計算の大部分は、1フロアを埋め尽くしたIBM製のコンピューター「リアルタイム複合計算機システム(RTCC)」が使われた。しかし、一連の重要なミッションを1つのコンピューターに完全に頼ってしまうことは、米国航空宇宙局(NASA)にとって不十分だった。
そのためNASAは数学の専門家グループを雇い、古き良きパンチカードを使ってメインのコンピューターによる計算結果を再確認させてた。この再確認のための秘密部屋は、「リアルタイム補助計算施設(RTACF)」と呼ばれ、ジェミニ計画と初期のアポロ計画までの期間に稼働していた。デニス・セイガーは、当時テキサス州ヒューストンのビルディング30号棟にあったRTACFで作業にあたった、最年少の専門家の1人だった。
専門家グループは、コンピューターから提出された宿題の採点とともに、ジェミニ・アポロ両計画の不測の事態への備えや状況変化への対応を補助する任務も課されていた。RTCCがロケット打ち上げ前にプログラムやロケットの軌道を固定する一方、RTACFには機敏さが求められた。「私たちは飛行中にもリアルタイムで変更を加えることができました」とセイガーは語る。「事前に想定さえしなかったことでも、対応できたのです」。
セイガーが所属していたグループには、ハリケーンが …