2018年11月初旬、強風にあおられた山火事で焦熱地獄と化したカリフォルニア州のパラダイス町では、ほぼ全域が焼き尽くされ、少なくとも86人が死亡した。
山火事が発生した2日目の朝には、バークレーの自宅から一歩出ただけで、210キロメートルほども離れた山火事の匂いが感じられた。そして1週間もたたないうちに、屋内にいても目や喉が刺すように痛みはじめた。
サンフランシスコのベイエリアは煤まみれの空気に覆われ、大気環境マップは「健康に非常に悪い」警告レベルに達した。何日もの間、犬の散歩や、電車に乗るとき、用事で外に出るときには、ほぼ全員がマスクを着用していた。その大部分を占める薄紙製のマスクの効果は疑わしいものだった。微粒子の95%を遮断するという優れもののマスク「N-95」はすぐに在庫切れとなり、空気清浄機も売り切れた。
人々はそれらの品々を販売している店の情報を交換し、新しい在庫が入ったと聞くとこぞってその店に駆け付けた。この騒ぎが収まるまでの間、安全に過ごせる場所を探すため、荷物をまとめて何時間も離れた場所に自動車で運転していく人々もいた。私は、注文したマスクが郵送で自宅に届くころにはオハイオ州にいた。感謝祭の旅行を前倒しして、煙から非難することにしたのだ。
気候変動が山火事を起こすわけではない。しかし、夏の暑く乾燥した気候が気候変動でさらに強まっていたことが、近年のカリフォルニア州史上、もっとも多くの犠牲者を出した破壊的な山火事の惨禍を招いた。
私は、地球温暖化の危険性が現実のものであり、年々それが高まっていることを長い間理解していた。後退する氷河や干上がった湖底、それにシエラネバダ山脈の木がキクイムシによって倒される様子を直接目にしてもいた。
だが、自宅においてその臭いを嗅ぎ、味わったのはこれが初めてだ。
もちろん、のどの痛みや飛行機の便の変更など、「キャンプファイヤー(Camp Fire)」の山火事で失われた命や住宅に比べれば些少なものだ。しかし、煙霧の中で過ごした一週間で、地球温暖化が確かに進行していることを、より深いレベルで実感させられた。
これまで我々が、究極の「共有地の悲劇」にしっかり立ち向かって来なかった代償として、何百万人とは言わなくとも、何千人もの人々が飢えたり、溺れたり、焼死したり、あるいは悲惨な生活を強いられようとしている。そして、それより多くの人々が、基本的な生存用品を探し求めてさまよい、より多くの山火事や、より猛威をふるうハリケーン、酷暑の夏に恐れおののくことになるだろう。
気候変動を解決しようとしてもすでに手遅れだ。我々はもはや、気候変動とともに生き、被害を最小にするために出来ることをすべてするしかないところにまで来ている。
世界でも有数の裕福な地域に隣接するコミュニティがほぼ全滅し、惨事の後で必要となった物資を満足に供給できない小売業者の実態を目の当たりにすると、今後のより大きな課題に立ち向かって行く能力が我々にあるのだろうかと、私は悲観的な気持ちになる。
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カリフォルニア州パラダイスから避難し父の家に向かう。「キャンプファイヤー」は手が付けられない勢い。#campfire
罹災
気候変動による破滅的な事象を味わえば、世界は共通意識を持って、問題に慌てて取り組むようになるだろうと考えている人々もいる。しかしそれでは、多くの点で手遅れとなるだろう。
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