CRISPRベビー誕生前夜
世界で初めてヒト胚の
遺伝子編集をした男
2018年11月、中国の科学者がCRISPRで遺伝子編集した双子の赤ちゃんを誕生させたことをMITテクノロジーレビューのスクープが報じると、世界中から非難の声が沸き起こった。だが、遡ることその数年前、初めてCRISPRでヒト胚の遺伝子を編集した中国人科学者がいる。 by Antonio Regalado2019.01.22
それは誰にでも、できただろう。極めて簡単なのだ。ただし実際にやったのは、黄軍就(ホアン・ジュンジウ)准教授だった。
2015年、中国の広州市にある中山大学の幹細胞研究者であるホアン准教授が、CRISPR(クリスパー)を用いて世界で初めてヒト胚の遺伝子編集を実施したと発表した。ホアン准教授の論文は倫理規則に違反しており、科学的根拠が乏しいと見なされ、欧米の有名学術誌に掲載を拒まれたが、2015年4月に北京の無名英文誌に掲載された。
結果、中国語で言えば「轩然大波」、つまり大変な騒ぎとなり、センセーショナルな議論を巻き起こした。
ホアン准教授は、血液疾患の原因となる遺伝子の異常を修正する実験をしたに過ぎなかった。実験に用いた胚は、文末のピリオド程度の大きさの異常な体外受精(IVF)胚であり、すぐに破棄された。人間の子どもを作り出そうとしたわけではなかったのだ。
それでも、ホアン准教授はタブーを破った。生殖細胞系列のDNAの改変は、遺伝的に影響を及ぼすからだ。これが意味することは明白だ。いつの日か、遺伝子を編集された人間が生まれて、その改変が未来の世代に受け継がれてしまうかもしれない。
世界中から即座に、ホアン准教授に対して直情的な反応が寄せられた。人類は自らの手で進化を推し進めたのかもしれないが、そのハンドルを握っていたのは、中国南部出身の若々しく見える、まったく無名の生物学者だったのだ。ホアン准教授の科学的成果は、「完全に時期尚早」で、「おぞましい」実験だと批判された。ハーバード大学医学大学院の学部長であるジョージ・デイリー教授は、この実験はホアン准教授の潜在的な「常軌を逸した動機」によるものだとした。
私は2015年当時、ホアン准教授の研究について記事にしている。だから、2018年11月に南方科技大学(深セン市)の科学者、賀建奎(フー・ジェンクイ)准教授が、HIV耐性を持つように遺伝子を改変したヒト胚を数人の女性の子宮に着床させ、(フー准教授が言うには)そのうちの1人が双子を出産したという発表に世界から厳しい非難の声が上がったときには、既視感に襲われた。またもや、野心的な中国の科学者が、未知の領域に足を踏み入れ、最初の非難を浴びている。またもや、野心的な中国の科学者の論文が拒絶され、怒り狂った欧米の科学者たちから攻撃を受けている、と。
これらの出来事によって、人類共通の遺伝子プールに影響を及ぼすようなテクノロジーの展開について、科学界が極めて不明確で矛盾した態度をとっていることが明らかになった。フー准教授の衝撃的な発表があったのは、遺伝子に関する有名な国際サミットが香港で開催される直前だった。このサミットの目的は、遺伝子編集技術が生殖に及ぼす影響を議論すること、つまり、CRISPRベビーの是非を決定することだった。サミットの主導者たちは、フー准教授の発表に激しく憤ったにもかかわらず、人類は自らの遺伝子を改変することに対して責任を持てる段階にはなく、検討している間は実験を一時的に停止すべきだという結論には至らなかった。むしろ、主導的な科学者らによる、この技術を体外受精クリニックにおける医療用途に移行させようという極めて明確な呼びかけで終わった。
ヒト胚の遺伝子編集がもたらす夢は、未来の世代が心臓病やアルツハイマー病などの遺伝子ワクチンを体内に保有し、より長く健康的な生活を送れるようになることだ。しかし、国際的な科学競争の一環として不必要で怪しげな遺伝子改変をされた子どもたちは悪夢だ。フー准教授が香港のサミットの壇上で発表を許された内容は、その悪夢に酷似している。
依然として、中国政府が遺伝子編集の取り組みを厳重に取り締まる可能性はある。現時点でフー准教授は、中国の地域保健委員会から国家科学技術部に至るまで、あらゆる部署から取り調べを受けているところであり、人々の前から姿を消している。米国では、遺伝子編集されたヒト胚の妊娠は、2015年の議会で禁止された。だが、米国の研究者たちは中国の研究室を回り、米国ではできないCRISPRベビー研究の準備をして、推進することに期待を寄せている。
遺伝子編集技術がいったん開発されてしまえば、技術が進展するにつれて、誰かが遺伝子を編集した赤ちゃんを作り出し、別の誰かが後に続くであろうことは避けられない。中国で遺伝子編集技術が進歩しなかったとしても、どこか別の場所で起こるだけだ。
生命の誕生
CRISPRベビーが発表される直前の2018年10月、私は中国に1カ月間、出張していた。胚工学で著しく先んじている中国において、中国政府の胚工学に対する意図を理解するためだ。私は、実験室で遺伝子を編集されたヒト胚に関する記述のある論文を10件発見したが、そのうち8件は中国で、残りは米国と英国が1件ずつだった。何が起こっているにせよ、ヒト胚の遺伝子編集について学ぶならば中国だった。人間を作り出す秘密の計画があるとすれば、おそらく見つけられるのではないか。まずは、2015年に完全にメディアから姿を消したホアン准教授に会ってみた。
ホアン准教授は広州のティーハウスで、3年半前に論文を発表して以来、初めての取材だと語った。今でもホアン准教授は、初のヒト胚編集の論文に対して集まった国際的な非難や、メールで送られてきた無数の質問を思い出したくないという。「思い出せないのです」とホアン准教授は言った。
ホアン准教授は、非難の声がすでに収まり、ヒト胚の遺伝子編集が受け入れられたいまなら話す用意はあるという。制限があるとすれば、研究方法についてだろう(2017年に米国の科学者が胚を編集したときは、「ブレークスルー」だと報じられた)。ヒト胚の遺伝子編集が、未来の子どもたちから遺伝性疾患を発症するリスクを取り除く可能性のある新しい方法として、多くの研究者たちから認められつつある。ホアン准教授は警戒を徐々に緩めた。すでに結婚して、バレーボールをしているというホアン准教授に、胚を編集して遺伝的な形質を変えることについて聞くと、「歴史の必然でしょう」と答えた。
だがホアン准教授は、フー准教授がその直後に明らかにしたニュースに関しては、何かをほのめかすようなこともなかった。ホアン准教授に対し、体外受精クリニックで遺伝子編集の治験を試みようとする人への助言を求めたところ、そんな人はいないだろうと語った。「体外受精クリニックで治験するには、ほど遠い段階です」。
ホアン准教授の人生は、多くの中国人科学者にとっては馴染みのあるものだっただろう。本人いわく「ごく普通です」というホアン准教授は、農家の両親のもとで生まれた。両親は子どもたちを連れて町に引っ越し、船の部品を作る工場で働きつつ、ホアン准教授を学校に行かせた。子どもたちの中から選ばれたホアン准教授は、高等教育を受けたのだった。
子どもの頃から胚は魅力的だった。ホアン准教授はそう語る。ホアン准教授は紫、白、緑のトウモロコシを交配し、1990年代にはパンダのクローン化を試みる中国の有名な取り組みの報告の後を追った。「胚は非常に神秘的な細胞だと思いました。何かを形成するための必要な情報のすべてを保持しているのに、そのプロセスがどのように機能するのか解明されていないのです」(ホアン准教授)。
そのためホアン准教授は、米国や欧州、韓国の科学者が生細胞内のDNA情報を改変する汎用性の高い新しい方法を2012年に開発したとき、注目した。その頭字語で呼ばれる「CRISPR(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeat)」を使えば、科学者はDNAの二重らせんのいかなる場所でも容易に切断して、遺伝子の指令を追加したり、削除したりできる。必要なのは、数百ドル相当の消耗品と化学物質だけだ。
ルドルフ・イェーニッシュ教授率いるマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームが、2013年5月にマウスの胚にCRISPRを注入して、遺伝子を改変した初の哺乳動物を誕生させた。だが、動物実験に関する規制が緩く、この分野で世界に先んじたい中国は、すぐにマウス以外の動物に試した。「マウスの研究では負けましたが、ヒツジやヤギ、サルでは勝ちました」と、上海科技大学の黄行许(ホアン・シンシュウ)教授(生物学。前述のホアン准教授と親戚関係はない)はいう。
2014年1月、中国雲南省で遺伝子編集された2匹の猿が誕生したという発表があったとき、一部で、次は遺伝子編集された人間が誕生するだろうとの憶測が広がった。だが、誰がそんなことをするだろう? どんな社会的理解や世界的合意が必要となるだろうか? そんなものはなかった。
ホアン・ジュンジウ准教授が初めてヒト胚にCRISPRを導入したのは、サルの報告からわずか3カ月後だったという。一部で危惧されていた通り、極めて簡単だったそうだ。「それほど複雑な実験ではないため、約半年でプロジェクトは終了しました」とホアン准教授は語る。
ホアン准教授は、ヒト胚に対してCRISPRの実験をするのに都合が良い立場にいた。広州には、定評のある大手の体外受精クリニックがあり、研究に興味を示していた。ホアン准教授はまた、新しい治療法の必要性に気づいてい …
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