2017年の感謝祭の日。ジェニー・ランズマンとギャリー・ランズマン夫妻は、息子たちの命を救う嘆願を始めた。ニューヨーク市ブルックリンのマリン・パークに住む夫妻は、週末までに20万ドルを集めた。
インターネットに投稿された3分ほどの感動的なビデオでは、夫婦は革張りのソファに座っている。夫のギャリーが話し始めると妻のジェニーはカメラから視線をそらすが、感情を表すことはない。「あなたがたの力が必要です。本当に」と話すギャリーは声が震えている。夫妻の2人の息子たち(1歳半のベニーと生後4カ月のジョシュ)は2人とも、致命的な遺伝性脳障害であるカナバン病(大脳白質萎縮症の一種)にかかっている。母親のジェニーの膝の上で足を引きずっているベニーにはすでに神経機能喪失の影響が出てきている。ジョシュはまだ大丈夫だ。しかし何もしなければジョシュも同じようになる。
カナバン病は「極めて稀な」病気だ。実際のところ、余りに稀なため、何人の子どもがこの病気を持って生まれているのか、信頼できる合意はない。カナバン病を研究している学者も非常に少なく、承認されている治療薬もない。がんと戦っている人が最後にすがるような治療も、カナバン病については1つの治験も実施されていない。医師はジェニーに対し、できる治療はあまりないと言った。彼女は家に戻り、息子たちが死ぬまで快適な状態を保てるようにするしかないのだ。
ランズマン夫妻は医師の助言を受け入れることなどできなかった。ジェニーはグーグルで検索し、研究者たちに電子メールを送り始めた。そして、「息子たちの脳の遺伝的欠陥を修正する方法があるかもしれない」ことを知った。ただし、治療の費用は夫妻が自分たち自身で払わなければならない。しかも高額だ。
「治療には150万ドルかかります。私たちの目標は、そのお金を今から6カ月以内に集めることです」とジェニーはビデオの中で語っている。
ランズマン夫妻は、ウイルスを使って健康な遺伝子を欠陥遺伝子のある細胞に入れるテクノロジーである遺伝子療法を見つけたのだ。遺伝子療法は数十年もの間、沈滞した科学領域だったが、現在は最盛期だ。2017年8月から12月の4カ月の間に、米国食品医薬品局(FDA)は3つの遺伝子療法を承認した。そのうち2つは血液がんに関するもの、残りの1つは視覚障害を引き起こす遺伝的原因に関するものだ。製薬会社は血友病や筋ジストロフィーの治療薬を研究している。FDAのスコット・ゴットリープ局長は2018年7月に「以前は単なる理論でしかなかった遺伝子療法は、治療が最も困難で患者を悩ませる病気に対処し、治癒できる可能性がある」と語った。
遺伝子療法テクノロジーの医学的な仕組みは、極めて稀な病気にかかった子どもを持つ親にとって抗いがたいほど魅力的だ。カナバン病のように、通常たった1つの遺伝子に起こった欠陥によって引き起こされる症状は約7000種類もある。遺伝子療法では、正常に機能するDNA指令を体内に入れるだけで、根本的な欠陥修正ができるのだ。カナバン病の子どもにとっての問題は、患者数が余りに少ないので研究結果を臨床に移すことができず、資金も集まらないことだ。同じことは、一般の人々が聞いたこともない他の無数の病気についても言える。その中には世界中で患者が50人もいないことが知られている病気がいくつもあるのだ。
「単純計算すれば、患者の数が非常に少ないことが分かります。そのことが、この非常に狂ったパラダイムを生んだのです」と言うのは、カリフォルニア州パロアルトに本社を置き、希少疾患の治療を専門とするバイオテク企業「ブリッジバイオ(BridgeBio)」の幹部、エリック・デイビッドだ。「患者の家族は『神さま、そんな大金を支払える人は誰もいません。私は自分自身で治療費を調達しなければなりません』と言っています」。
遺伝子療法は、経済的にもっとも厄介な医学分野であるとすでに知られている。問題は、誰が費用を負担するかだ。販売を承認されたわずかな治療法ですら、価格は100万ドルとべらぼうな額だ。前代未聞の価格の理由は、長い年月に渡る研究や人体実験、FDAの認可を取得するための書類準備に多額の費用がかかっているにもかかわらず、患者数が非常に少なく、市場が小さいからだ。別の理由は、患者の細胞に送達させるために、数兆個のウイルス1つ1つに遺伝子を注入するという非現実的な工程が高額だからだ。その結果として発生しているのが、遺伝子療法で治療できる病気の数の多さと、実現した遺伝子療法の数との大きなギャップだ。
子どもの遺伝子療法のために、両親が治験費用を出した事例はこれまでに6件ある。パリ近郊に本社を置くバイオテク企業「ライソジーン(Lysogene)」を創業したカレン・アイアッシュもその1人だ。ライソジーンは、アイアッシュの娘が罹ったサンフィリッポ症候群(ムコ多糖症III、MPS-III)の治験費用を負担した。一方、ハリウッド関係者であるグレイ夫妻は、稀な形態のバッテン病に罹った2人の娘を含む数人の子どもたちのために、治験費用700万ドルを調達した。ほかにも両親が費用を調達することが前提の治験が20件以上、計画段階にある。
ハードルが高い正式な治験を避けて、緊急処置として未試験の遺伝子療法を受けようとしている家族もいる。フロリダ州では2017年に、両親が実験の費用を負担して、カナバン病にかかった少年への遺伝子療法が実施された。この場合は、「治験用新薬利用範囲拡大制度」と呼ばれる連邦法の免除制度によって、未認可の薬品を「生命をいまにも失うかもしれない」特別な患者に投与することを許された。
この実験は、研究とも、医療とも言えないグレーゾーンに当たる。ランズマン夫妻がニュージャージーの遺伝子療法士パオラ・レオーネとシカゴの神経科医クリストファー・ジャンソンの協力を得てやろうとしているのと同じ方法だ。レオーネ医師とジャンソン医師は2018年6月にFDAに対し、緊急の場合には自分たちの独自の遺伝子療法を、事前に指定したカナバン病の患者である5人の子どもに実施することを許可するように要請した。リストの最初の2人は、ベニー・ランズマンとジョシュ・ランズマンだ。
FDAによれば、このような治療は、驚くほど珍しい方法ではないという。FDAが監督している約700件の遺伝子療法の治験のうち、77件が「緊急のケース」のカテゴリーに入るとFDAの広報担当は説明する。そのうちの何件のケースで家族が費用を負担しているかは不明だが、親が費用を負担することは完全に合法でもある。「私たちはできることなら、薬品治療に結びつく、広範に体系だった方法で遺伝子療法を実施したいのですが、資金が足りません」というのは、イリノイ大学医学部のジャンソン内科医だ。「それまでは自分たちだけで、数人の子どもの治療に取り組むしかありません」。
ランズマン夫妻の計画を知る研究者の中には、最新鋭のブレークスルー・テクノロジーである遺伝子療法が、金持ちか、資金調達キャンペーンをネットで拡散させる方法を知っている人だけが手に入れられる高級専門医療になってしまうと危惧する人たちがいる。一方で、別の見方もある。こうした動きは、今後ますます一般的になっていくであろう、個別化された遺伝子療法を予告するものであるという考えだ。
保健当局の考えでは、将来的には、研究者が遺伝子の突然変異を検出して患者ごとにDNAの問題を解決することが一般的になる可能性がある。「単一遺伝子の欠陥が原因となる約7000の病気のほとんどについて、その欠陥が分子レベルで分かっています。どのような初期的な欠陥がそれらの病気に至るのかも分かっています」と米国立衛生研究所(NIH)のフランシス・コリンズ所長は2018年の講演で述べている。「私たちは病気の原因を解明するとき、数百、数千の病気に拡大できるような方法について考えるべきではないでしょうか。だとすれば、何をすることが必要なのでしょうか」。
答えは誰にも分からない。だから、ランズマン夫妻は連邦政府や製薬会社が答えを見つけるまで待てなかった。現在、希少疾患のために承認される新薬が年間15件ほどであることを考えると、製薬会社がすべての希少疾患の治療薬の承認を得るには1000年かかることになる。2人の息子を失うかもしれないランズマン夫妻は、時間を1カ月単位で数えている。ジョシュは満面の笑みを見せてくれるが、未だにハイハイができない。ジョシュはすぐにベニーと同じように、腕が弱くしか動かなくなり、フェルトに面ファスナーで貼った絵を見ることでしか、意思を伝えられなくなるだろう。「ベニーは一度も『ママ』と呼んでくれたことがありません」(ジェニー)。それでもベニーは、ママを呼ぶことはできる。フェルトに貼った写真の1枚は彼女のものだから。
ジェニーは、いつかすべてのカナバン病の子どもが遺伝子療法の恩恵を受け、ジェニーを助けようとしている研究者たちが「有名になる」ことを望んでいるという。しかしジェニーは子どもたちの治療の全費用を調達してもいないし、慈善家になろうとしているわけでもない。「これは治験ではありません。ベニーとジョシュのための個人的な治療なのです」(ジェニー)。
最高のタイミング
カナバン病は稀な病気だが、ランズマン夫妻のようなアシュケナージ系ユダヤ人の子孫の間では発症率が高い。テイ・サックス病と同様、カナバン病も十分大きな脅威であり、子どもを持つことが見込まれるアシュケナージ系ユダヤ人たちは、自分が遺伝子欠陥の保因者かどうかの検査を受けている。約40人に1人が保因者だ。一連の医療コミュニケーションのミスのせいで、ジェニーは検査結果は陰性だったと誤解していたという。発症には両方の親から1つずつ突然変異遺伝子を受け取る必要があるので、夫のギャリーは検査を受ける必要がないと考えていたのだ。
ジェニーもかかりつけの小児科医も、ベニーの症状に気が付くのに遅れた。ジェニーの姉は、よちよち歩きのベニーが「力なく弱々しい」と言ったが、小児科医は心配いらないと言った。そのころにはジェニーはジョシュを身ごもっていた。悲惨な診断結果が明らかにされたのは2017年夏で、数日に分けて説明された。7月後半の血液検査で、ベニーがカナバン病であることが最終的に判明した。その2週間後、夫ギャリーの誕生日に、生まれたばかりの2人目の子どももカナバン病だと知った。何週間も鬱状態にあったものの、日よけの下に入ってくる太陽の光をじっと見て、「その瞬間を生きよう」と努力した……。ジェニーは当時をそう振り返る。
ニュージャージー州にあるローワン大学の遺伝子療法士、レオーネ医師のもとを訪れると、リオーネ医師はジェニーが2人子どもの診断の合間に送ってきた電子メールを見せてくれた。それは、「力を貸 …