遠い昔、古き悪しき2000年代、インターネットに関する議論は楽観主義者と悲観主義者の2大勢力が支配していた。
「本来インターネットは民主的なものだ。インターネットによって個人や自己組織化する共同体が力を持ち、瀕死の状態にある支配体制に対抗できるようになる」と楽観主義者は主張した。
「それは間違っている!」と叫んだのは悲観主義者だ。「インターネットは監視とコントロールを助長する。政府や巨大企業が力を得るだけで、手に負えない破壊的な群衆をしばしば勢いづけるだけだ」。
この手の議論は延々と続き、結論が出ることはなかった。
しかしながら、2016年の一連の出来事によって、ついに楽観主義者のコンセンサスは完全に打ち砕かれてしまった。嫌がらせに対して無力であることに始まり、匿名性の中に正体を隠す荒らしの若者やロシアのスパイの存在に至るまで、長きにわたって懸念されてきたインターネットの問題が米大統領選挙によって浮き彫りにされたのだ。インターネットの支持者でさえ、政治的偏向の強まりや誤情報の蔓延といった数々の問題の根源はインターネットにあるという見立てを(それが正しいかどうかは別として)暗に受け入れているようだ。
こうした流れの中で、「意気消沈した元インターネット楽観主義者(Depressed Former Internet Optimist:DFIO)」という新しいタイプが勃興している。テクノロジー産業の有力者による公式の謝罪からカンファレンス会場での非公式な雑談に至るまで、どこを見回しても昔ながらのインターネット楽観主義者を見つけるのは非常に困難になりつつある。いま残っているのは、「撤退した楽観主義者」「疑念を抱く楽観主義者」「両面作戦を採る楽観主義者」だけだ。
ユーリ・スレスキーンが著書『House of Government(政府の家)』で見事に指摘しているように、キリスト教の各宗派からロシア革命のエリートに至るまで、古今東西何かを信奉する人々は、自分たちのビジョンが予想に反して実現しなかった場合に同じようなことをしてきた。予言通りに物事が運ばなかった理由を説明するための理論の展開を余儀なくされ、より良きものの実現可能性を信じて信念を貫くことを正当化する必要があったのだ。
DFIOの間では、なぜインターネットは間違った方向に向かってしまったのか、それをどう克服すべきかについて、それぞれ独自の視点を持ったさまざまな派閥が生まれている。 …
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