個人の健康維持から国レベルの医療改革まで、ヘルステックには大きな期待が寄せられている。だが、実際のヘルステック・ビジネスはそう簡単ではないようだ。ここ数年でスマホやウェアラブル端末と対応アプリは多数登場しているものの、特に日本では健康を巡る状況が劇的に変わったわけではない。
これには医療機関での治療が安価に受けられる日本ならではの皆保険制度が影響している。米国のように医療機関にかかる費用が高い国では、医療費を下げるために個人が必死になってヘルステックの活用を考える必要がある。ところが日本は個人が努力しなくても病院に行けばいいので、ヘルステックがなかなか発展しないのだ。
とはいえ、超少子高齢化に向かう中で、健康人口の増加、医療費の削減は社会的な課題だ。では、どうすれば人々はヘルステックを使うようになるのだろうか?
日本のスタートアップ企業であるカラダノートも、まさにヘルステック分野で事業を展開する企業だ。日本のヘルステックはどう進展しているのか? カラダノートの取り組みから考えてみた。
「単純なこと」をテクノロジーに置き換え
カラダノートは現在、スマホアプリを通じて妊娠中および子育て中の家族に向けた情報を提供し、関連するサービスを仲介する成果報酬型広告で収益を得ている。創業は2008年。スマホが登場する前、ガラケーの時代のことだった。「以前勤務していた会社でガラケー向けのマーケティングに関わり、体の悩みや不安をガラケーで調べる人が非常に多い。何かできることがあるのではないか、と考えたことが起業の原点となりました」(代表取締役社長の佐藤竜也氏)。
佐藤氏はガラケー時代から現在まで一貫して、「これまで手作業でしていた単純なことをテクノロジーに置き換えられるのではないか」というスタンスで自社ビジネスを進めている。
単純なこととは、たとえば出産の際、陣痛が何分おきに起こっているのか記録していくという作業を指す。これまで手書きで付けていた記録を、「スマホを使えばもっと簡単になるのではないかということです」という。「何も特別な機能を使うのではなく、メモ、タイマーといった基本的な機能で、手作業よりも便利になるのではという提案です」。
「子育てにテクノロジーを使うことが是か否かという議論は、ずいぶん前からあります。スマホが出た直後、知育アプリや、『この動画を見せると子供が泣き止む』といったことが話題になりました。その派生でスマホに子育てを任せる『スマホ育児』なんて言葉も登場しました。子育てにテクノロジーを活用することがネガティブに捉えられたのです。親がまったく面倒をみないでスマホに頼り切りは論外ですが、手作業よりも便利なことはスマホに任せた方が効率的だと考えたサービスを提供しています」。
試行錯誤の9年半で見えてきたヘルステックの実像
現在のスタイルに落ち着くまで、カラダノートはヘルステックを事業化するためにさまざまなモデルに挑戦した。一時は製薬会社と連携し、アプリを提供した。このモデルでは大手企業と組むことで安定した収益を確保できるものの、製薬会社が提供する薬を飲む人だけを対象とした閉じられた世界にとどまってしまう。提供するアプリも監修医の意向が強く、利用者の使いやすさは二の次になってしまったという。
「安定した収益は獲得できるのですが、起業時に考えた『一般の人の手助けになりたい』という創業の目的からは離れていってしまうんです。最初にやりたかったことはなんだろう? と考え直したときに、違うと判断してやめました」。
「普通の人」が健康になるためのヘルステックで成功することは、確かに容易ではない。たとえば毎日の血圧を記録していけば、何か身体に変調が起こった際、病院に持ち込めば貴重なデータとなる。だがそれは分かっていても、「血圧が高いと診断された人は、当初はちゃんと記録をとるんです。ところが、血圧が安定してくると、『もう落ち着いたから、記録しなくてもいいんじゃないか?』と記録を止めてしまう人が圧倒的に多い。ダイエットが顕著ですが、使い続けることができず挫折してしまう人が多いのが現実です」。
こうした試行錯誤を展開しながら、カラダノートはヘルステック領域の中でも、アプリを継続的に利用するモチベーションが高い、妊娠、子育て層を狙ったアプリ事業(同社は「子育Tech」と呼ん
「妊娠は人生を見直すことが多い時期です。サービスを妊娠している期間だけでなく、子育ての時期にも使ってもらえるよう内容充実を進めています。また、若い夫婦が親とのコミュニケーションを活発にとる時期でもあることから、親世代に血圧記録アプリの利用を勧めるといった広がりも期待できます」。
劇的な変化は簡単には起こらない
多くの人はヘルステックと聞いて、「テクノロジーによって、従来はできなかった健康管理ができるようになった」「テクノロジーが劇的に健康改善のきっかけになった」という世界が実現することを期待しているのではないだろうか? テクノロジーがそれまで黒一色だった世界を一気に白に染め変えてしまうような劇的な変化を起こすのではないかという期待である。
それに対し、ヘルステックビジネスを9年半、日本で展開してきた佐藤氏は、「もちろん、まったく新しいテクノロジーがこれから登場し、これまで実現できていなかった黒い世界が一気に白になることが起こる可能性もあります。それでも当社の役割は、地道に役に立ってもらうアプリ、サービスを提供し続けることだと思います」と話す。
ヘルステックに限らず、さまざまな産業に「テック」が冠されることで劇的な前進が起こることが期待される。だが、実際には劇的な前進というよりは一歩の前進が多いのではないか。そして一歩の前進が積み重なっていく中で、それまでになかった劇的な前進が起こるのかもしれない。
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- 三浦優子 [Yuko Miura]日本版 ゲスト著者
- 日本大学芸術学部映画学科卒業後、2年間同校に勤務。1990年、コンピュータ・ニュース社(現・BCN)に記者として勤務。2003年、同社を退社し、フリーランスライターに。IT系Web媒体等で取材、執筆活動を行なっている。