ゲノム解析のコストは低下しているが、膨大なデータをどのように処理し、疾患の発症リスク予測や創薬ターゲットの同定など、生物学・医学に応用可能な知見を創出するかについては、いまだに課題が多い。
マサチューセッツ工科大学(MIT)のポスドク研究員である谷川洋介(Yosuke Tanigawa)は、遺伝統計学と計算生物学を駆使し、新しいゲノムデータ解析技術の開発と、実社会データへの応用について研究をしている。ときには数十万人規模のゲノムデータを解析し、複数の病気・形質を同時に考慮することで、ゲノムの個人差と疾患の関係を明らかにしようとしている。
多くの疾患形質は、複数の遺伝子変異により影響を受けることが知られている。これらの効果の足し合わせにより、各個人の疾患の発症リスクを予測する手法をポリジェニックリスクスコア(PRS)という。谷川らの研究チームは、約36万人のデータを解析し、血液検査や尿検査により得られる35種類のバイオマーカーに対するPRSモデルを開発した。さらに、疾患に対するPRSモデルと、バイオマーカーに対するPRSモデルを組み合わせることで、疾患リスクの予測性能の向上を図る「multi-PRS」という手法を提案した。たとえば、慢性腎疾患の遺伝的リスク予測は、従来法ではほぼ不可能だったが、multi-PRS法を35種類のバイオマーカーに適用することで、統計的に有意な予測が可能となることを世界で初めて示した。
また、谷川らは疾患リスクに大きな影響を与える稀な遺伝子変異の探索を通じて、創薬にも貢献している。谷川らの研究チームは、英国・フィンランドの50万人以上のデータから、日本人の失明原因の第1位でもある緑内障のリスクが、ANGPTL7遺伝子の変異により約30%低減することを突き止めた。この成果は国際学術雑誌のサイエンス(Science)誌にも「Editor’s Choice」として紹介され、注目を浴びた。現在、ANGPTL7を標的とする薬剤の研究開発が製薬会社で進んでいる。
谷川は、「疾患の発症プロセスや病態の個人差といった『疾患の多様性』に強い関心がある。膨大なゲノムデータを解析して、生物学や医学の新たな知見を得たい」と意気込む。
(島田祥輔)