鼓膜は意外と簡単に穴が空く。感染やケガなどが主な原因だが、スキューバダイビング中の気圧の変化によって穿孔が起こることがある。
しかし、治療はそれほど簡単ではないことを、ニコール・ブラック(30)はハーバード大学大学院で基礎工学を専攻中、2人の耳の専門医と出会った際に学んだ。鼓膜の修復処置は通常、頭部の別の部位から組織片や軟骨を切除し、それを使って穴を補修するというものだ。必ず成功するというものではなく、患者は何年も経った後に再手術が必要になることが多い。
そこでブラックは、より良い治療法の開発に乗り出した。彼女の目標は、健康な鼓膜のように機能する、まったく新しい素材を3Dプリンターで作ることだった。
鼓膜は音波を伝導できる特殊な性質が必要なため、簡単ではなかった。「鼓膜は低周波数に対しては柔らかい素材のように、高周波数には硬い素材のように振動します」とブラックは言う。そして素材は、血管を含む細胞の成長を支える必要もある。また、外科医の扱いに耐える強度も必要だ。しかし、人間の鼓膜の厚さはわずか約80ミクロンで、人間の髪の毛の太さ程度しかない。「多くの試行錯誤を重ねました」(ブラック)。
ブラックはこのデバイスをテストするにあたり、非常に大きな耳を持つ齧歯類のチンチラを選び、穿孔したチンチラの鼓膜を使って試験を始めた。チンチラの鼓膜は、人間とほぼ同じ大きさだ。有望な結果が得られ始めると、ブラックはさらに開発を進めるためビーコン・バイオ(Beacon Bio)を共同創業し、まもなく3Dプリンター企業のデスクトップ・メタル(Desktop Metal)に買収された。現在、ブラックは同社のヘルスケア部門デスクトップ・ヘルスの生体素材&イノベーション担当副社長を務めている。
ブラックは、この開発における最も重要なブレイクスルーは、細胞が特定のパターンで成長することを促す素材をプリントできたことだったと話す。これは鼓膜にとって必要不可欠だが、他の臓器や組織用の医療デバイスを3Dプリントするうえでも役立つはずだという。
ブラックのデバイスの最新版「フォノグラフト(PhonoGraft)」は、鼓膜の穴の反対側に半分飛び出せるまで押し込められるように、平らな糸巻きのような形状になっている。
デザインがシンプルなデバイスなため、理論的には耳の専門医でなくても挿入できる。「内視鏡で耳の中を見る訓練を受けた耳鼻咽喉科専門医なら、誰でも取り付け可能です」といい、2024年末には人体への臨床試験を開始したいとしている。
またブラックは、その他の医療ニーズに応えるデバイスの開発も計画している。次の目標は、例えば、バイパス手術後などの血管の損傷修復に役立つ血管移植片の作製である。
(ジェシカ・ヘンゼロー)