トレイシー・チョウ(プロジェクト・インクルード)

Tracy Chou トレイシー・チョウ(プロジェクト・インクルード)

データを通じてテック業界に欠けていた「多様性」の視点を吹き込んだプログラマー。 by MIT Technology Review Editors2017.09.13

シリコンバレーはデータを愛している。しかし最近まで、テック企業がほとんど興味を示さなかった数字が1つあった。それはテック企業で働く従業員の多様性だ。統計が軽視されていたわけではない。数字が存在すらしなかったのだ。

現在ではほとんどの巨大テック企業が多様性に関するレポートを公開している。また、ギットハブ(GitHub)には、テック業界の従業員に関する情報をクラウドソーシングで収集する、独立したリポジトリ(データの保管場所)がある。こうした従業員の多様性の調査、データの保管といったことは、当時ピンタレスト(Pinterest)のソフトウェア・エンジニアだったトレイシー・チョウのおかげで始まったことだ。チョウは2013年の秋、ミディアム(Medium)に「数字はどこにある?(Where are the numbers?)」と題した記事を投稿した。

チョウがミディアムに投稿したのは、フェイスブックの最高執行責任者(COO)であるシェリル・サンドバーグが登壇したカンファレンスで、「テック業界の女性の数が減少している」と話しているのを聞いたからだ。「サンドバーグCOOが間違っているとは思いませんでした」と、チョウはいう。「しかし、同時に思いました。『どうして彼女は知っているのだろう? 数字がないのに』と」。

チョウのミディアムの投稿は瞬く間に拡散した。それから数字が流れ出しはじめた。最初はツイッターを通して、次にチョウが構築したギットハブのデータ保管場所を通して。数週間のうちに、チョウの元には50社以上の企業のデータが集まった(ギットハブのリポジトリには現在、何百社ものデータが集まっている)。2014年の夏までは、シリコン・バレーの非常に有力な企業の多くが、自社の従業員に関するデモグラフィック・レポートを公開した。

数字は荒涼たるものだった。技術職として働く女性は従業員の約10%から20%にすぎず、シリコンバレーの企業の45%が、役員に女性を1人も登用していないことが判明した。それでも、いまは少なくともデータは存在する。

「私はテック業界で働き続けるのか真剣に悩みました。問題は自分にあるとさえ、思っていたのです」

一連のできごとの間、チョウはピンタレストでコーディングの仕事を続けるかたわら、講演や討論会に呼ばれるようになった。今春、チョウは投資家のエレン・パオ、スラック(Slack)のエンジニア、エリカ・ジョイ・ベイカーをはじめとする7人の女性で構成されるグループ「プロジェクト・インクルード」を作った。プロジェクト・インクルードは、CEO(最高経営責任者)が社内に多様性を受け入れる戦略を導入することを助ける組織だ。

チョウは多様性問題のプロとして活動に専念しようとは考えていないし、そうなるつもりもない。「やりがいはありますが、今のままでも影響力は持てます」とチョウは話す。「あくまでも、物事を組み立てて、製品を作るという本業に対して、補足的なことだと考えているからです」。

それにもかかわらず、チョウはテック業界の多様性問題に関する「鶴の一声」となりつつある。チョウは、女性としてのシリコンバレーでの個人的な経験と、女性が直面する組織的な性差別とのつながりを明確にする一方で、多様性の欠如がいかに企業に損害を与えるか、説明するのが桁違いに上手かったからだ。

たとえば、性別とテクノロジーの問題となると、明らかにキャリアの問題がある。いわゆるSTEM(科学、技術、工学、数学)の講義を受講していたり、これらの学位を取得したりして卒業する女性の数はもともと多くはない。しかし、チョウが主張するように、学歴の問題をもってしても、テック業界の女性の離職率の高さや、上級役職者に女性が少ないことは説明できない。別の言い方をすると、企業に入った途端に、女性のキャリアアップの道はさらに狭くなるのだ。

ウーバーで起きたセクハラ問題や、チョウに定期的に「コーダーにしてはかわいすぎる」と声をかけてくる男性のような、時代に逆向したあからさまな性差別が原因なのかもしれない。多くの企業内で、女性は生まれつきコーディングの熟達度が低く、自発的に勤勉に働く意欲も低いと、暗黙的に(時には明示的に)決めてかかっているせいでもある。

チョウはスタンフォード大学で電気工学の学位を取得し、同大学でコンピューター科学の修士号を取得して、フェイスブックとグーグルでのインターンシップに参加した。チョウは初めての職場で、日常的に繰り返される軽蔑的な女性差別に対処しながら、テック業界に身を置くことに疑問を持ったという。「コーディングは大好きでした。しかし、何かが違う気がしました。自分が場違いな気がして、テック業界で働き続けるか真剣に悩みました。私は、問題は自分にあるとさえ、思っていたのです」。

大規模な研究によって、組織やチームの多様化が業績の向上につながることが証明されている。多様性はチームが集団思考に陥る可能性を低くし、未開拓の市場に企業が参入するのに役立つ。「製品は、その製品を作っている人の問題を解決するために作られる傾向にあります」と、チョウはいう。「必ずしも悪いことではありませんが、シリコンバレーでは多くのエネルギーと関心が、可処分所得の多い都市部の若い男性の問題解決に集中しています。女性や老人、子どもの問題解決には格段に少ない関心しか払われていません」。

証拠は揃ってきている。だが、多くの企業にはまだ説得が必要だ。「ダイバーシティ(多様性)劇場を演じる企業、口先だけで理解を示す企業はたくさんあります。もしかしたら私たちは、とりわけ言語道断な人たちを何人か排除できたのかもしれません。しかし、『日暮れて途遠し』なのです」。

(ジェームズ・スロヴィキー)