米3大学特許戦争に裏切り者
遺伝子編集の超有力技術巡り
数十億ドルの価値があるとされる遺伝子編集手法を巡る特許権争いに新証言。 by Antonio Regalado2016.08.17
MIT(マサチューセッツ工科大学)とハーバード大学の共同研究所(ブロード研究所)がゲノム編集テクノロジー「CRISPR(クリスパー)」を考案したという話は正確ではないし、研究所が特許局に提出した情報にも誤りがある、と以前研究所にいた若手研究者が発言した。
シュアイリャン・リン元大学院生は、カリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授に送ったメールで上記のような告発した。ダウドナ教授は、CRISPRの科学的・商業的功績についてブロード研究所と係争中の人物だ。
2015年2月28日に送られたメールでリン元大学院生は、研究所が公表していることは「悪ふざけ」であり、「私はフェアではないと思うし、科学の歴史にとっても公正ではありません」と述べた。さらに「私は真実を守るべく行動します」と文面は続いている。
ブロード研究所とバークレー校はCRISPRの知的財産を巡って激しく対立しており、その一環として、米国特許庁に多数の申し立てがあることが今週明らかになった。この「爆弾」メールもそこに含まれている。CRISPRは生体細胞内部のDNAを改変する強力な手法で、すでに数十億ドルの価値があるとされている。
ダウドナ教授はヨーロッパの共同研究者とともに、2012年にこの手法の柱となる論文を発表した。しかしブロード研究所は、共同研究者の1人だったフェン・ザン研究員が、数カ月前に柱となる部分をひっそりと発案していたと特許局に説明し、多数の特許を取得した。
リン元大学院生は当時ザン研究員のラボで働いていただけでなく、研究所が2012年12月に出願した最初の特許で発明者として名を連ねているため、告発は衝撃をもって迎えられている。
問題のメールは、ダウドナ教授への仕事の依頼の一環として送られた。その中で中国出身のリン元大学院生は、仕事と引き換えに、内部情報の提供と特許案件のサポートを申し出ている。「興味をお持ちであれば、もしくは真実を明らかにすることに興味がある方がいれば、詳しい話や記録を提出する用意があります」と文面にはある。
2011年のはじめ、ラボでCRISPRについて研究していたのは自分1人だった、とリン元大学院生はいう。ラボでは当時、手法の実用化にはいたっておらず、「ラボでの失敗の過程をつぶさに記録した」ノートやメール、結果の記録から文書化できると述べている。
「このような革新的テクノロジーの特許登録の間違いは許されないと考えます。ダウドナ教授の論文を読むまでは、私たちは実用化できていなかったのです。とても残念なことですが」と、ダウドナ教授宛てのメールでは述べられている。
「しかし私たちには真実について責任があります。それが科学というものでしょう」
リン元大学院生は現在、カリフォルニア大学サンフランシスコ校でポスドク研究者として雇用されている。電話やメールで何度か連絡をとろうとしたが、反応はない。
CRISPRはすでに何億ドルもの投資を集めている。出資者には政府機関も含まれ、株式公募や新規公開、バイオテクノロジー工場や製薬メーカーとのタッグといった手段で資金が集まっている。またダウドナ教授やブロード研究所のザン研究員といった主な科学者には、数百万ドルの株式という果実がもたらされている。
問題のメールは、バークレー校側の弁護士を通じて特許庁に提出済みであり、「インターフェアランス」と呼ばれる抵触審査に先立って今週申請された数百点のサポート文書に含まれる。この審査によって誰が特許の権利を有するかが決まるが、鍵となるのは、中核的な発明をした人物とその時期だ。
直接的な関与のある研究者たちは一様に口をつぐんでいる。さらに、自分の組織を支持する宣誓供述書に署名している者もいる。実際、2014年5月には、ブロード研究所の特許申請に関連した宣誓書にリン元大学院生が署名している。この宣誓書の内容が虚偽であれば法的な罰則を受けるが、それから1年後にダウドナ教授に告発した内容と矛盾するとみなされる可能性もある。
研究所は多数の特許について様々な申し立てをしているが、その中にリン元大学院生の名前はほとんど登場せず、限られた権限しか持たない小さな存在として扱われている。さらにラボの責任者であるザン研究員の「知的な管理」下にあり、他の研究者の仕事内容を必ずしも知る立場にはなかったと説明されている。
リン元大学院生がザン研究員のラボに在籍していた2011年10月からの9カ月間は、ブロード研究所がCRISPRのゲノム編集をヒトの細胞で実現したと主張している重要な時期だ。リン元大学院生はその後、ハーバード大学のノバート・ペリモン教授(生物学)の研究室でポストを得ている。
ペリモン教授はインタビューで、リン元大学院生は有能な科学者であり、その行動に問題はないと語った。
「リン元大学院生が問題を起こしたことはありません。リン元大学院生の発言は慎重に扱う必要があると思います」
ブロード研究所の他の研究者は、現場で起きたことについて口を開く気はないようだ。現在ニューヨーク・ゲノム・センターで教鞭をとる生物学者ネヴィル・サンジャナ研究員は、問題の時期にラボに在籍し、リン元大学院生の研究の一部を指導する立場にあった。サンジャナ氏は、リン研究員の発言や人物像について何も語らず、研究所に質問を委ねた。
研究所の広報担当リー・マクガイアは、リン元大学院生が告発した動機について疑問を呈する。ダウドナ教授にメールを送る直前、リン元大学院生はケンブリッジの研究所での新たなポストを拒否されていた、とマクガイアはいう。ペリモン教授のラボにいられる期限が迫っており、ビザの更新を急いでする必要があったが、それはカリフォルニア大学サンフランシスコ校の職を得たことで在留資格は保たれた。
「この学生の主張が間違いであることは、多くの証拠によって示されています」とマクガイアはいう。
特許をめぐる争いは、ヒトの細胞を編集する商業的な権利が誰にあるかに関わる重大問題だ。バークレー校が自分たちの権利と主張しているのは、ダウドナ教授とヨーロッパのエマニュエル・シャルパンティエ研究員が2012年に発表した重要な論文で、CRISPRの簡単なバージョンを用いて、試験管内でDNAを切断したことを示しているのが根拠だ。
バークレー校側の弁護士によれば、ブロード研究所のメンバーも含めた他の研究者がこの発見に飛びつき、ヒトの細胞でも有効であることを示そうとした。ヒト細胞に応用されれば、新たな種類の遺伝子治療が実現できる可能性があるため、大きな価値がある。
ダウドナ教授へのメールでリン元大学院生は、バークレー校の主張に同意を示している。「あなたの試験管内の……論文を読んだ後、フェン・ザン研究員とレ・コン研究員がすぐにプロジェクトに取りかかったのです。私には知らされませんでした」とリン元大学院生は不満を示している。コン研究員もラボの研究者で、その成果はブロード研究所の案件にとって特に重要なものとなっている。
しかしブロード研究所は、CRISPRについてダウドナ教授の論文よりもかなり前に探求を行っている。リン元大学院生が研究の担当になったのは2011年。さらにザン研究員は2012年1月に国立衛生研究所に助成金を申請し、その中で、CRISPRを編集ツールにするための大規模な活動に対する資金提供を申し出ている。
ダウドナ教授の方が論文発表は早かったが、研究所は、特許庁に「ヒト細胞を編集する試みが成功した」と通知し、特許を取得することができた。しかし詳細な内容の公表は2013年までされなかった。
抵触審理に提出されている文書を見る限りでは、状況は互角のようだ。ブロード研究所は、バークレー校の試験管研究がなぜ特許を受ける資格がないかを科学的に巧みに説明している。これに対し、研究所のザン研究員は単に発見を利用した科学者の1人にすぎない、というのがバークレー校側の言い分だ。
特許係争のコストは増大する傾向にある。今月の電話会議の中で、エディタス・メディシン(ザン研究員が共同で設立した、ブロード研究所の特許ライセンスを扱うスタートアップ)のカトリーン・ボスレーCEOは、持ちこたえられると強い自信を示した。エディタスは特許を守るのに今年はこれまで1090万ドルの裁判費用を費やしている、という。
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- アントニオ・レガラード [Antonio Regalado]米国版 生物医学担当上級編集者
- MITテクノロジーレビューの生物医学担当上級編集者。テクノロジーが医学と生物学の研究をどう変化させるのか、追いかけている。2011年7月にMIT テクノロジーレビューに参画する以前は、ブラジル・サンパウロを拠点に、科学やテクノロジー、ラテンアメリカ政治について、サイエンス(Science)誌などで執筆。2000年から2009年にかけては、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で科学記者を務め、後半は海外特派員を務めた。