メディアの主役に躍り出た動画は、活字文化に終わりを告げるか?
インターネットの主役はテキストや写真から動画にシフトしつつある。動画の大衆化は私たちの文化をどのように変えるのだろうか。 by Clive Thompson2024.09.04
- この記事の3つのポイント
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- ティックトックなどの動画プラットフォームの台頭により映像が大衆化している
- 映像は知識共有や対話の手段となり語彙や視覚的スタイルも洗練されてきた
- 映像の普及には危険性もあるが新旧メディアが混在する興味深い文化が生まれている
先日私は、なんの気なしにティックトック(TikTok)を開き、ある若い女性が古いホロウボディのエレキギターを修理して生まれ変わらせる動画を見た。
アップで撮影した写真を合成したモンタージュだった。女性の肩越しに、木製部分に紙やすりをかけたり削ったり、フレットを取り除いたり、職人並の腕前で亀裂を補修したり、まばゆい紫色にスプレー塗装したりするところを女性の肩越しに捉えた写真が出てきた。何日もかけた作業を、彼女は濃密な30秒のクリップに凝縮させた。私はすっかり目を奪われた。
もちろん、この日私が見た動画はこれだけではない。その後5分ほどスワイプを続ける間に、トールキンが『指輪物語』の中で書いた詩について歴史学者が論じる動画や、船乗りが深海で発見した沈没船に当惑する様子を捉えた動画、ADHDの子どもを育てる苦労について涙ながらに語る母親を捉えた動画、レイシストの隣人との揉め事について言葉少なに語るラテン系男性を映した動画、Z世代が日常生活で使うテレビゲームに関係する比喩についての言語学者の解説動画を目にした。
いくらでも続けられる。というか続けたい! あなたもきっとそうだろう。これが現在のインターネットなのだ。インターネットはかつてテキストと写真の保管庫だった。しかし今や、段々と映像の密林に変わりつつある。
これは私たちの未来を左右する、最も重大なテクノロジーの転換のひとつだ。私たちは動画の時代に突入しつつある。
何世紀もの間、一般大衆が遠くにいる誰かとやりとりする必要に迫られた時、実質的に選択肢は2つだけだった。文字として書き留めるか、写真を送るかだ。動画は撮影にも、編集にも、配信にも、あまりにお金がかかるものだった。プロにしか手が届かない代物だったのだ。
しかし、スマホとインターネット、それにティックトックのようなソーシャル・ネットワークが、急速かつ徹底的に状況を変えた。いまでは、自分の考えを世界に発信したいと思ったら、キーボードを出してきてタイプするのではなく、カメラをオンにして話すのが当たり前になっている。いまや多くの若者にとって、映像こそが自分の考えを表現する主要な手段ではないだろうか。
マーシャル・マクルーハンのようなメディア思想家が述べたように、新しいメディアは私たちを変える。物事を学び、考える方法だけでなく、考える内容まで変えるのだ。大量印刷時代の到来は、ニュースと高識字率と書類仕事の文化、そして一説によればエビデンス(科学的証拠)という概念が誕生する契機となった。では、動画の大衆化は私たちの文化をどう変えるのだろう?
第一に、私の考えでは、映像の大衆化はこれまで文章で伝えるのが極めて難しか …
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