都市住宅の再生、
イノベーションのカギは
スマートよりも省エネ
エネルギー効率の悪い古い建物を改修することは、それほど魅力的な新しい取り組みではないかもしれない。しかし、華々しい「スマート」なソリューションよりも、はるかに環境に優しいものだ。 by Patrick Sisson2023.04.12
ニューヨーク市住宅局(NYCHA)が管理する老朽化したマンションや住宅には、無数の傷やでこぼこがある。これらの建物から、イノベーションのアイデアをすぐに思いつくことは難しい。ニューヨーク市最大の地主であり、ニューヨーカーのほぼ16人に1人の住宅を提供しているNYCHAは、数十年間にわたるメンテナンス遅れと不十分な整備のため、管理下の建物が文字通り崩れていくのを目のあたりにしてきた。
エレベーターは故障し、遊び場は荒れ果て、外壁は崩れている。物理的なインフラの破損だけでなく、NYCHAはここ数年、カビの蔓延や鉛検査の偽装など一連の不祥事にも見舞われている。2012年のハリケーン・サンディによって、建物の地下にある電気・暖房設備が浸水し、損害はさらに拡大した。この見捨てられた公的住宅は、都市計画者たちが「放置による崩壊」と呼ぶ状態にある。これらの建物を十分に整備された状態に戻すには、400億ドル以上、少なくとも一戸あたり18万ドルの費用がかかるとされる。
数年前、こうした住宅のキッチンには、イノベーションの証拠が隠されていた。90年代後半までに、NYCHAは多くの部屋で使われている既存の冷蔵庫が、古くて電気代が高い「ガス・ガズラー」であることに気がついた。入居者の電気代を支払うNYCHAにとって、負担は大きい。そこでNYCHAは地元の電力会社と協力し、家電メーカー向けのコンテストを開き、小型でマンション・サイズの、電力効率の優れた冷蔵庫の開発を依頼した。優勝者は、NYCHAと年間2万台以上の購入計画に関心を持つ他の住宅当局の幹部と商談できる。優勝したのはメイタグ(Maytag)で、当時としては斬新な「マジック・シェフ(Magic Chef )」モデルが開発された。このモデルはエネルギー効率を高め、NYCHAの費用削減に貢献し、排出量も削減するものだった。最終的には、1995〜2003年の間に15万台の冷蔵庫が納入された。これは当局の影響力と市場力を利用して、イノベーションを促進するというモデルだった。
そして現在、NYCHAは冷暖房についても同じ仕組みを利用しようと考えている。クリーン・ヒート・フォー・オール・チャレンジ(Clean Heat for All Challenge)と名付けたこの政策は、メーカーに対して建物改修が低コストで設置が簡単なヒートポンプ・テクノロジーの開発を求めている。当局が提案した機器の仕様は、米国で一般的に使われている窓用エアコンを代替する標準的な窓枠に収める必要があり、冷媒を使ったり、化石燃料を直接燃やしたりすることなく、マンションの効率的な冷暖房を可能とするものだ。
NYCHAはこのコンテストを支援するにあたり、2億5000万ドルの投資計画の一環として、どの機器が勝ったとしても、少なくとも2万4000台を購入すると約束している。また、ニューヨーク州エネルギー研究開発局(NYSERDA)は、州内および全米の住宅当局に対して、コンテストで優勝した機器を購入するよう働きかけている。「今後、大きな需要に対処しなければならないとき、この仕組みが何度も利用できることを期待しています」とNYSERDAのエミリー・ディーン住宅脱炭素化担当部長は言う。
当局にとっても、優勝企業にとっても、社会にとっても、大きな投資になる。より効率的な建物の冷暖房に投資することは、人々にとっても地球にとっても良いことだ。気候変動対策に必要な規模や速度感を持って公平な方法を見つけ出すことは、状況に変革をもたらすだろう。
「米国では毎年800万人が窓用エアコンを購入しています。世界の空調市場は1000億ドル規模で、2050年までに地球上のエアコン台数は3倍になると見込まれています。そのほとんどは私たちが推し進めようとしている小さな部屋用のエアコンです」。そう語るのは、NYCHAのコンテストに出品したスタートアップの1社、グラジエント(Gradient)のエンジニアで最高経営責任者(CEO)のヴィンセント・ロマニンだ。「この方法は、こうしたテクノロジーの普及を加速できる、巨大市場のシグナルなのです」。
NYCHAとNYSERDAが今後数年で実現したいと考えている、急速な技術の飛躍はこれだけではない。3000万ドルの試験プログラム「レトロフィットNY(RetrofitNY)」では、建物全体のエネルギー効率向上のための新しい種類の改修を支援しようとしている。基本は、古い建物の外壁に気密性と耐候性のあるパネルを貼り付ける方法だ。この改修技術は、「エネルギーの飛躍」を意味する「エナジースプロン(Energiesprong)」という非営利団体により、オランダで発明された技術だ。エネルギー使用量を大幅削減するだけでなく、住民が住んだままの状態で設置できるのがメリットだ。最初の試験プロジェクトとして完成が予定されているブルックリン地区におけるパッシブハウス(省エネ住宅)は、10月の完成予定だったがパンデミックによってやや遅れている。
「数年前なら、このような改修は実現不可能に思えました」。そう語るのは、パッシブハウス・プロジェクトを支援している非営利の開発団体、リセブロ・コミュニティー・パートナーシップ(RiseBoro Community Partnership)のライアン・カシディ持続可能性・建設担当部長だ。「多少のコストはかかるかもしれませんが、今の私たちにはその手段と方法があります」。
老朽化した既存住宅に必要な唯一のイノベーションといえば、これまで住宅を取り壊して新しい「環境に優しい」建物を建築することだと、多くの人が考えていた。しかし、既存の建物を取り壊して新しく建て直すよりも、改修する方がはるかに持続可能性が高い。気候変動危機によって二酸化炭素排出量の削減は急務であり、本格的に対応するためのいかなる計画であれ、エネルギー効率の悪い老朽住宅改修への多額の資金投入は不可欠だ。古い住宅を取り壊すのは、費用面でも炭素排出面でも、単純にコストがかかりすぎるのだ。
建物、特に老朽化した非効率な建物のエネルギー使用量は、全米のエネルギー使用量の40%近くを占めている。米国の賃貸住宅の半数以上が築後半世紀以上経っており、米国エネルギー省(DOE)はそうした1億3000万棟の古い建物のうち75%は2050年時点でも残存すると推定している。現在、230万戸が毎年改修されているとDOEは見ているが、排出量目標を達成するためには毎年およそ300〜600万戸の改修が必要だ。つまり、米国の開発業者と不動産所有者は、すぐに実行可能で、実績があり、効率的かつ手頃なソリューションを必要としている。そして、そのための資金提供と政治的な意志を求めているのだ。
「大量消費市場で量産された建物を脱炭素化するための多くのソリューションは、すでにあります。私たちはスピーディかつ大規模に実施できるアイデアを支援しようとしているのです」。そう語るのは、より持続可能な住宅ソリューションに焦点を当てたクリーンエネルギー・スタートアップを支援するインキュベーター、クリーン・フライト(Clean Fight)のサッチャー・ベル企画部長だ。「イノベーションは難しいですが、それが採用されるのはもっと難しいのです」。
住宅分野には、この大きな課題に対応するための大規模な物資と人員の集中が必要だ。しかしこれまでのところ、従来のテック・ディスラプター(破壊者)は、この分野では他産業で見られたような成功を収めていない。ソフトバンクが支援するシリコンバレーの住宅スタートアップであるカテラ(Katerra)は、建築プロセスを根本的に見直したと大見得を切り、30億ドルを調達した後に失敗した。労務・地域規制・サプライチェーン問題・建築法といった多くの変動要因と闘わなければならないこの業界に、スタートアップは悩まされてきた。サンフランシスコの有名なスタートアップ・インキュベーターであるYコンビネーター(Y Combinato …
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