江守正多:技術だけではない、日本の「脱炭素」議論に必要な視点
地球温暖化の影響など、将来の気候予測をシミュレーションする「気候モデリング」に長年携わり、現在は気候変動をめぐる科学と社会の関係に注目する、東京大学/国立環境研究所の江守正多氏に、2050年のカーボンニュートラル実現に向けて必要な視点と自身の取り組みについて聞いた。 by Noriko Higo2022.08.02
MITテクノロジーレビューが主催する世界的なアワードの日本版「Innovators Under 35 Japan(イノベーターズ・アンダー35ジャパン)」が、本年も開催される。8月15日まで、公式サイトで候補者の推薦および応募を受付中だ。
今、記録的な熱波により、世界各地で最高気温が更新されている。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第5次・第6次評価報告書の主執筆者であり、動画や講演を通じて、温暖化の影響や脱炭素化の取り組みを科学的見地から解説してきたのが、江守正多氏だ。気候変動対策は、日本では生活の質を脅かすものとして、世界では生活の質を高めるものとして、対照的にとらえられている。2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、どのような視点が必要なのか。江守氏に自身の取り組みと併せて話を聞いた。
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無作為抽出した市民が気候変動政策を議論する「気候市民会議」
──江守先生が今、取り組まれている研究の内容について教えてください。
現在の私の関心を一言で説明すると、「気候変動問題をめぐる科学と社会」です。私は、もともと「気候モデリング」のシミュレーションを研究していました。「気候モデリング」は2021年にノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎先生が開発した、物理法則に基づいた計算式によって地球の気候をシミュレーションする計算モデルです。地球温暖化の研究に活用されています。
今も同じ専門分野に属してはいますが、シミュレーションに直接関わるのではなく、培った専門性を足がかりに、気候変動のリスクや対策といったさまざまなことを含めた議論に参加しています。
最近関わっている研究プロジェクトには、市民が参加する「気候市民会議」があります。また、テクノロジー寄りのプロジェクトでは、脱炭素化の技術に関して倫理的あるいは社会的な課題を意識しながら進めてもらうためにはどうしたらよいのかを考える「ELSI(倫理的・法的・社会的な課題)」の研究を昨年から始めています。
──「気候市民会議」とはどのような会議で、市民が参加する意味はどこにあるのでしょうか?
気候変動の政策を、無作為抽出した市民が議論、提案するという手法の会議です。イギリスやフランスでは国レベルで本格的に行われています。フランスではかなりラジカルな提案も出ていて、国内航空路線の廃止など実際に実行に移されたアイデアもあります。
その手法を日本でも試行的にやろうと、社会学者の主導で自治体などに働きかけをしています。私が関わっている研究グループは、小規模ですが20名の市民に参加してもらい、2020年に札幌で「気候市民会議さっぽろ2020」を開催しました。
これまで気候変動問題などの議論では、専門家などの比較的狭い意味でのステークホルダーだけしか参加していないケースがほとんどでした。市民が参加していても、NGOやNPOに所属しているような専門知識を持っている人だけに限られることが多かった。ただ、それだけで本当にいいのか? それでは足りない視点がないだろうか? という議論がありました。
市民が主体的に参加するチャンスがあって、多様な視点が得られるような議論のやり方があるのではないか。自分とは異なる立場の人や、自分とは違う考えの人とも話し合って、その結果自分の意見も変容するかもしれない。そういったプロセス――「熟議」を経て出てきた提案にこそ価値があるのではないか? という考え方をしています。ちなみに、市民を無作為抽出する際はできる限り「社会の縮図」になるように、男女比や年齢などを母集団と同じ比率にサンプリングしています。
──欧米などに比べると、日本では市民からラジカルな意見や国を動かすようなムーブメントは出にくい印象です。実際に市民会議を開催して、実感されたことや手応えはありましたか?
確かに、日本人は議論にあまり慣れていない、「お上」に逆らわないという傾向はあると思います。ただ、会議では面白い意見も出ました。札幌市は2050年までの脱炭素化を掲げていますが、札幌での会議の際は3分の1くらいの人が「2050年より早く脱炭素化したほうがいい、そう言っておいてちょうど2050年に間に合うのではないか」と言うんですね。いろいろな考え方があるなと(笑)。
今までは気候変動の問題をあまり考えたことがないという市民の皆さんも、真剣に考える機会があればいろいろな意見が出て来て、面白い議論になるのだということをそこで経験しました。
一方で、政策決定者や専門家の側も、市民から出てきた意見を受け止めて、意見に学ぶ姿勢が大事だと思います。もちろん、市民の議論で出てきた提案をすべて受け入れる必要はありませんが、少なくとも一旦は正面から受け止めて、実施できない場合にはその理由をきちんと説明する必要があると考えています。
脱炭素化技術を、倫理的な視点から議論する仕組みをつくる
──「ELSI」の研究プロジェクトでは、具体的にどのようなことをしているのでしょうか?
まず背景を説明すると、脱炭素化を進める際には技術が1つの焦点になります。CCUS(二酸化炭素回収・貯留・利用技術)や水素サプライチェーン、次世代バッテリーといったこれから普及するであろう新しい技術もあれば、一方で太陽光パネルに代表される既存の技術もあります。
本格的な脱炭素化に向けて、今後はこれまでとは比べ物にならない規模でそうした技術が社会に入って来るはずです。そうなると、社会との関わりという面でも何らかの新しいことが起きるのではないかと考えていて、それをELSI、特に、倫理的そして社会的な観点から研究しようとしています。
エネルギー問題の議論は、工学者や経済学者が中心となることが多く、これまではどうしてもコスト面や供給ポテンシャルといった即物的な価値基準で語られがちだったのではないかというのが、私たちの仮説です。実際はどうだったのか? 過去の関連議論の議事録などを分析して現在検証しているところですが、概ね仮説のとおりだろうと考えています。
それに対して、「公平性」や「権利」「自然の価値」といった、これまでは表立って議論されてこなかったことに目を向けようというのが私たちの考えです。コストの話ももちろん重要ですが、他に「抜け落ちている視点」がないかどうかを参照しながら議論する仕組みをつくれないだろうかと考えています。
そのために、エネルギーの専門家ではないけれど、さまざまな分野で社会の変革に取り組んでいるフロントランナーを招いて、脱炭素の問題を議論してもらうというワークショップも何回か開催しています。そこからも新しい視点を得て、2023年には1つの研究結果にまとめられればと考えています。
シミュレーションを活用するには、正しく伝える役割も重要
──もともと「気候モデリング」の研究をされていたのに、今のような研究活動をされるようになったのはどのような理由からですか?
1つはシミュレーションの結果が社会に伝わるときに、人々がその結果をどう理解したのかを把握して、それを研究側にフィードバックしたり、結果に表れた数字の意味を説明したりする役割の人が必要だと考えたことです。そういう人がいなければ、シミュレーション結果がうまく使われないのではないかと思ったからです。
また、自分は「気候モデリング」のシミュレーションをして論文を書くよりも、シミュレーションの結果を社会にどう生かせるのかを考えるほうが向いていると思ったのも理由の1つですね。
──いつ頃から、そう考えるようになったのでしょうか?
今から16年ほど前です。ただ、遡ると実は学生時代から科学そのものより、科学と社会との関係に関心がありました。いちばんのきっかけは、1986年のチェルノブイリ原発事故です。事故後、日本でも原発が安全か危険かといった論争をテレビなどでよく見かけるようになりました。当時ははっきりと意識していたわけではありませんが、その頃から科学と社会との関わりの中で自分は何かやることがあるのではないかと考えていたのかもしれません。
脱過剰消費を考えることが、気候変動問題の解決にもつながる
──専門分野以外で、関心を持っている社会的な課題はありますか?
2つあります。1つは専門分野とも関わりますが、「脱成長」についてです。「脱成長」というと議論も盛んで、誤解もいろいろあると感じていますが、少なくとも私はその中の「脱過剰消費」については支持しています。
いくらエネルギー技術を化石燃料から再生可能エネルギーに置き換えたとしても、消費自体が指数関数的に増え続けていったら再生可能エネルギーの供給は需要に追いつきません。かつ、その増え続ける消費は本当にみんなの幸せにつながっているのか。過剰に消費している、あるいは消費させられているといったことはないのか。そういう議論をきちんとすることが、今必要ではないかと私は考えています。
再生可能エネルギーが安くなって、世界はグリーン成長を目指し始めています。再生可能エネルギーや電気自動車に投資して儲けて成長していこうとしています。それを否定するわけではありませんが、過剰消費から抜け出せなければ、グリーン成長だけでは脱炭素はできないだろうと思っています。
──過剰消費の問題は、どうしたら解決できますか?
これは、単にテクノロジーだけでなんとかなる話ではありません。社会システムの何かしらの変化も含めたイノベーションというものがあるとすれば、そこなんだろうと考えています。
例えばですが、新型コロナウイルス感染症の影響でオンラインでの会議がすっかり定着しました。でも、以前はここまでオンラインが普及することは考えられませんでした。オンラインの普及で飛行機に乗る機会が激減して、それで構わないという人は増えていると思います。デジタルが移動需要を代替するようなこと、それによって物質的な消費から脱するようなことは、今後もっと起きていくのではないでしょうか。
──もう1つの関心分野についても教えてください。
こちらはまったくの専門外ですが、これまでお話した内容との関わりで「食」のイノベーションに関心があります。例えば、牛は温室効果ガスの1つであるメタンを出します。もし代替肉や培養肉がどんどん安くなり、かつもっとおいしくなったら、誰もがそれでいいと思うようになるのではないかといったことをよく考えます。
また農業も、広い土地にたくさんの肥料を撒いて単一の作物を栽培するこれまでの環境収奪型農業から、今後は有機的な肥料を使ったり、自然の生態系を模倣するような環境再生型農業に転換していくべきだとよく聞きます。大気から炭素を吸収して土壌に蓄えることができて、生態系が再生されて、しかも作物がこれまでよりおいしくできれば、最高でしょう。
今の時点では、環境再生型の農業は手間ひまがかかり、広い面積で行うのは難しいという面もあるでしょう。そこで、ドローンやロボットなどの新しいテクノロジーを駆使して、多様な作物の栽培や管理などを自動でできたらいいなと思っています。勝手な思いとしてそのようなことを考えています。
その人の「哲学」が伝わるようなイノベーションに期待
──2050年のカーボンニュートラルは実現すると思いますか?
日本を含めて先進国に関して言えば、やろうと思えば実現できるでしょう。ただ、世界全体では本当に難しいです。世界がカーボンニュートラルを目指すには、排出枠を買い取るやり方は意味がありません。こちらで吸収したからあちらでは排出してもいいでは、世界全体でのカーボンニュートラルは実現しないからです。
途上国では、2060年、2070年のカーボンニュートラルを宣言する国が増えています。それが実現するには、先進国が途上国に技術や資金の支援をする流れがもっと必要でしょう。また、途上国のカーボンニュートラルが2050年よりも遅れることを前提にすれば、先進国は2050年より前倒しでカーボンニュートラルを実現し、そこからどんどんCO2の吸収を始めないと、2050年に世界全体でカーボンニュートラルにはなりません。
技術面では、太陽光発電や風力発電のコストがこれから安くなるから、それをどんどん増やすべきだという意見があります。太陽光や風力は変動するので、余ったら水素にして貯めておく。そしてデジタル、特にAIなどを用いて、需要についても報酬を払って抑制するような考え方です。一方で、火力発電所がたくさんあるのだから、グリーンの水素やアンモニアなどCO2が出ない燃料を燃やし、さらに次世代原発を活用すればよいという意見もあります。
個人的には、再生可能エネルギーを主力電源化するのが、脱炭素化の幹の部分だと思っています。ですが、日本ではその話をする人はあまりいません。なぜなら再生可能エネルギー設備の生産で儲かっている人がほとんどいないからです。
昔の日本は太陽光パネルを世界で売っていましたが、大量生産フェーズに入ると中国に負けてしまいました。その結果、日本でGX(グリーン・トランスフォーメーション)について議論すると、元気が良いのは、水素やCCUS等の話になってしまいます。もちろんそれはそれで大事なのですが、それは脱炭素化の枝葉だと思います。
しかも、日本が水素のサプライチェーンの技術を主導したとして、大量生産フェーズに入ったら中国にマーケットを奪われるかもしれません。そのあたりについていろいろな人に尋ねてみても、「いや、大丈夫です」と言ってくれる人にまだ会ったことがないんですよね(笑)。
──江守先生には「Innovators Under 35 Japan」の審査員をお願いしています。最後に、先生が考える「イノベーター」像を教えてください。
私では思いつかないような、常識を変えるようなことを考える人ですね。そういう人のアイデアや取り組んでいることを拝見できるのを、大変楽しみにしています。
また、今日お話しした内容とも関わってきますが、社会的価値をどのようにとらえているのか、その人の「哲学」のようなものが伝わってくるイノベーションにも期待したいと思います。
単に技術を加速させるだけでは、世界のウェルビーイングが高まる方向にいくかわからないからです。もちろん、「そこは他の人に任せたい」という考え方もありますが、やはり取り組んでいる本人が、そういったことを深く考えながら新しい常識をつくっていこうとする姿勢に注目したいですね。
MITテクノロジーレビューは[日本版]は、才能ある若きイノベーターたちを讃え、その活動を支援することを目的とした「Innovators Under 35 Japan」の候補者を募集中。詳しくは公式サイトをご覧ください。
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- 肥後紀子 [Noriko Higo]日本版 フリーランスライター
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