量子コンは「面白さ引き出せる段階」、阪大・藤井教授が語った魅力
「グーグルがスパコンを超えた」との熱狂から2年余り。スタートアップ企業の上場や資金調達が相次ぐなど、量子コンピューターをめぐる動きが再び加速している。実用化への道筋はどこまで進んだのか。第一人者である大阪大学の藤井啓祐教授が国内外の動向とその魅力を語った。 by Koichi Motoda2022.06.10
量子力学の理論によって動作する量子コンピューターは、2019年10月に従来のコンピューターの計算能力を超える「量子超越性」の実証に成功した。それから2年が経ち、現在量子コンピューターはどのように進化の方向を定めようとしているのだろうか。そして、IBMやグーグルなどの欧米企業が先行している量子コンピューターの実用化競争において、日本はどのような取り組みをしているのだろうか。
2022年4月8日にオンライン開催された「Emerging Technology Nite #20」では、「量子コンピューターの現在と最新動向——量子超越後の世界で何が変わるのか?」と題し、大阪大学大学院の藤井啓祐教授が登壇。量子情報・量子生命研究センター副センター長および理化学研究所量子コンピュータ研究センターのチームリーダーなどを兼務し、QunaSys(キュナシス)の最高技術顧問を務める藤井教授が、量子コンピューターが期待されている産業分野や、国内外の研究開発状況などについて紹介した。
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量子力学の完成から100年で量子技術の応用が活発に
量子力学は、直接目では見ることができないほど細かいミクロな世界を記述する、最も根本的な物理法則だ。例えば、水分子のサイズは約0.3ナノメートルだが、このような世界を支配しているのが量子力学という物理法則となる。「学問としての量子力学は1900年代になって完成しましたが、そこから100年ほど経つ今、人類はさまざまな事象に量子力学を応用しようとしています」(藤井教授)。
量子力学で捉えられた電子の性質を利用したテクノロジーは、私たちが日常的に使っている製品の中ですでに利用されている。例えば、体内の水素原子を振動させて画像にするMRI(Magnetic Resonance Imaging)検査の装置や、さまざまな電子機器に入っている半導体も電子の性質を利用している。こうした量子力学を、縁の下の力持ちとして日常生活を支えるだけでなく、積極的に応用しているのが「量子技術」であり、2010年代に入って大きな盛り上がりを見せ、2012年には2人の研究者がノーベル賞を受賞した分野なのだ。
量子コンピューティングも、こうした量子技術を応用したものの1つだ。現在私たちが日常的に使用しているコンピューターは「古典コンピューター」と呼ばれ、量子技術を応用した「量子コンピューター」とは計算の仕組みが大きく異なっている。例えば、古典コンピューターでは「0」か「1」という2つの数字のいずれかで表わされるビットが使われるが、量子コンピューターでは「0」かもしれないし「1」かもしれないという不思議な性質を持つ「量子ビット」が使われる。これが古典コンピューターと量子コンピューターに決定的な違いを生み出している。
「私たちの自然界の物理法則は量子力学によって動かされているので、ありとあらゆる物理系が量子ビットになりえます」(藤井教授)。
量子コンピューターが応用できる分野
量子コンピューターには得意分野がある。その最たる例が、整数を素数の積の形に分解する「素因数分解問題」だ。桁数が増えるに連れて難しくなる素因数分解は、暗号化に利用されていることで知られている。古典コンピューターでは解くことが難しい素因数分解問題も、計算の原理が異なる量子コンピューターならば非常に高速に解けるようになるため、量子コンピューターがネットワークで繋がれたシステムがあれば、改ざんできない量子マネーや量子認証などが実現できる。「他にも、量子コンピューターはベクトルや行列といった数学系とも相性がいいので、膨大な計算リソースが必要になる人工知能やデータ科学などの分野においても、活用が期待されています」(藤井教授)。
もともと量子力学で動いている化学反応法のシミュレーションは、スーパーコンピューターであっても従来の計算方式を採用しているため解くことが難しい問題が多くある。それらも、量子力学の原理で動いている量子コンピューターがあれば、材料や分子、化学の振る舞いを効率よく計算できる。「さらに、物理法則と全く同じルールで動いてるコンピューターが手に入ることによって、科学技術のフロンティアも大きく切り開くことができるでしょう」(藤井教授)。
グーグルの参入によって工学的な観点での研究開発競争が始まる
現在、IBMやグーグル、インテル、マイクロソフトといった大企業だけでなくベンチャー企業も、量子コンピューターの研究開発に取り組んでいる。量子コンピューターの研究開発が加速されたのは、グーグルが参入した2014年からだ。それ以前は、どちらかといえば物理学者の純粋な興味で研究が進められてきたが、グーグルの参入によって工学的な観点での研究開発競争が始まった。2016年にはIBMが、量子コンピューターをクラウド越しに利用できるサービスを公開。2019年にはグーグルが現在のスーパーコンピューターの能力を量子コンピューターが超える「量子超越性」を発表、2021年にはそれを上回る100量子ビットを超える量子コンピューターが発表されるなど年々進化している。
量子超越性については日本でも、スーパーコンピューターだと1万年かかる計算を量子コンピューターが200秒で計算できたと話題になった。計算自体は、私たちの生活に直結する意味のあるものではなく、量子コンピューターの得意な土俵でベンチマークしているような問題だ。「一方で、近年はスーパーコンピューターを用いた量子コンピューターのシミュレーション技術も発展しており、当初1万年と言われていた計算日数を300秒くらいでシュミレーションできたという報告が昨年のスーパーコンピューターのカンファレンスで発表されています」(藤井教授)。
では、そのような競争にどんな意味があるのだろうか。例えば、ライト兄弟の最初のフライトは10数秒から1分にも満たない間だった。これは決して実用的なフライトとはいえないが、動力を積んだ飛行機を設計して飛ばせば空中を移動できることを実証し、後の飛行機開発につながる大きなマイルストーンとなった。すなわち、地上から離れて移動することが、原理的に可能であることを示したという意味で非常に重要だ。「それと同じように、量子力学という全く新しいルールで作ったコンピューターをスーパーコンピューターと競争させ、大きな成果を残したことは、非常に重要な最初の一歩」だと藤井教授は表現する。
量子コンピューターは、スーパーコンピューターでもシミュレーションが難しい計算が解けるレベルまで来ている。一方で、素因数分解を高速に解いたり暗号解読ができるまでには、現状の100量子ビット程度ではまだまだビット数が足りていない。例えば2048ビットの素因数分解を10時間以内に解かせるには、2000万量子ビットが必要となる。他にも、量子コンピューターが期待されている材料、化学分野においてインパクトのある問題を解くには200万量子ビットが必要となるなど、まだまだ必要な量子ビット数が足りていないという。「ただ、このまま地道に研究開発を続ければ、10年から30年かかるかもしれないが、パワフルな量子コンピューター時代に突入すると見ています」(藤井教授)。
国産の量子コンピューターも開発が進む
国産の量子コンピューターの取り組みとしては、富士通と理化学研究所による大規模な量子コンピューターの開発、内閣府のムーンショットプログラムでのNECや日立製作所による大規模な量子コンピューター実現に向けたプロジェクトなどがある。今年度中には、国産量子コンピューターの初号機が完成する予定だ。
そこに大阪大学も加わり、国産量子コンピューターのテストベットの設置を進めている。例えば、藤井教授の研究グループでは長期的な誤り耐性量子コンピューターの研究や、今ある量子コンピューターをどう活用できるかについて研究しており、4年前には量子コンピューターを機械学習に応用する量子アルゴリズムを提案している。
量子コンピューターが実用化されると、どういう社会課題が解決できるのだろうか。例えば、持続可能な開発を目指したカーボンニュートラルを考えると、単にガソリンエンジンや輸送部門から排出されるCO2の削減だけでなく、産業活動によるさまざまなCO2の削減に総力で取り組む必要がある。「こうした中、自動車メーカーを中心に、世界の企業が量子技術を新たに取り込むことでカーボンニュートラルに向けた次の一手を見つけようと取り組みを進めています」と藤井教授は説明する。
他にも、量子コンピューター業界の共通テーマとして、非常に効率のいい触媒を見つけて地球規模でエネルギーを節約しようとしている。その1つ、肥料を作るために世界の数%のエネルギーを消費するアンモニアを、空気中の窒素から合成する仕組みを量子コンピューターで解明しようとしたり、「CO2を吸収する高機能な材料開発や、太陽光を活用した人工光合成実現のための取り組みに量子コンピューターが使われている」(藤井教授)という。
日本でも量子コンピューター開発を加速しようと、大阪大学の「量子ソフトウェア研究拠点」では量子コンピューターのテストベットから実際のアプリに至るまで、30社を超える企業が参画している。
現在の量子コンピューターのイメージを、藤井教授はファミコンに例えた。「ファミコンはCPUが1MHzでメモリもごくわずかしか積んでいなかったが、それで体験できるゲームは結構おもしろかった。装置自体のスペックが低いがゆえに、さまざまな工夫によっておもしろいゲームが作られていたと思います。現状の量子コンピューターも今はたいしたことができませんが、それがゆえにうまく活用し、おもしろさを引き出せる斬新なアイデアが出せるフェーズにあると思っています」(藤井教授)。
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- 元田光一 [Koichi Motoda]日本版 ライター
- サイエンスライター。日本ソフトバンク(現ソフトバンク)でソフトウェアのマニュアル制作に携わった後、理工学系出版社オーム社にて書籍の編集、月刊誌の取材・執筆の経験を積む。現在、ICTからエレクトロニクス、AI、ロボット、地球環境、素粒子物理学まで、幅広い分野で「難しい専門知識をだれでもが理解できるように解説するエキスパート」として活躍。