トヨタの野心的な未来都市は「幸せの量産」を体現できるか
2020年にラスベガスで開催されたCESで、トヨタ自動車の豊田章男社長自ら発表した実証都市「ウーブン・シティ」構想。世界的自動車メーカーがなぜ、街づくりに乗り出すのか? ヴェールに包まれた同プロジェクトの現状を整理する。 by Yumi Kawabata2021.11.16
トヨタがスマートシティを作る。そんなニュースが駆け巡ったのは、2020年の松の内も明けないうちの出来事だった。毎年1月にラスベガスで開催される世界最大級の家電見本市「CES(Consumer Electronics Show)」の会場で、トヨタ自動車を率いる豊田章男社長が、富士山と未来都市の青写真を背にして“Woven City(ウーブン・シティ)”と発した瞬間は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。実のところ、CES 2020開幕前の下馬評では、トランプ大統領の大統領補佐官にして長女であるイヴァンカ・トランプの講演が大きな話題だったが、前夜に突然、「豊田章男さんが自らプレゼンに来るらしい」という噂が立ったのだ。
- この記事はマガジン「Cities Issue」に収録されています。 マガジンの紹介
世界に向けて突如発表されたトヨタの大いなる挑戦
今になって思い起こせば、コロナ禍以前に開催された最後の巨大コンベンションとも言えるものであり、ソニーがコンセプトカーを発表し、トヨタが未来都市の開発を宣言するなど、果たして、「世界最大の家電ショー」と紹介するのが正しいのか悩むほどのラインナップである。いささか時計の針を戻すことになるが、トヨタは2016年にトヨタ・リサーチ・インスティチュートを設立して以降、2018年にMaaS(Mobility as a Service)である「e-Palette」を発表するなど、CESではこれまでも意欲的な発表を行なってきた。
そう、ウーブン・シティについて語るに当たって、「なぜトヨタは、従来型の自動車メーカーから脱却を図ろうとしているのか」という疑問に触れざるを得ない。歴代の経営陣との区別と敬愛の意味を込めて、あえてファーストネームで呼ぶが、2018年のCESでのコメントに章男さんの意図が凝縮されている、と筆者は考えている。
「私は豊田家出身の3代目社長ですが、世間では、3代目は苦労を知らない、3代目が会社をつぶすと言われています。そうならないようにしたいと思っています」
ここで少々、トヨタの歴史を振り返ると、同社はもともと、自動織機の発明によって創業された会社であり、章男さんの祖父である豊田喜一郎氏が自動車を作ると決意したことが、大きな転換になっている。当時の日本では、自国で自動車を生産することは不可能とさえ思われており、国家としての議論も「自動車は米国から輸入すべき」という考え方が主流だった。そんな中、あえて豊田喜一郎氏が織機を作ることから、自動車を作ることへと方向転換した結果として、世界一の自動車メーカーへの道が開けたのだ。
事実として、グループ内には今でも「豊田紡織」という社名が残されている。さらに、豊田喜一郎氏が自動車事業を開始した際に、その原資となった中国での紡織事業を担った上海の工場跡地は、「上海豊田紡織廠記念館」として残されている。それほど、トヨタの歴史上、織機から自動車への事業転換は大きな出来事であり、章男さんも当然、喜一郎氏の孫として、その偉業を子どもの頃から目の当たりにして育ったに違いない。だからこそ、「3代目が会社をつぶす」という言い回しは、普通の人以上に、胸に響く言葉だろうし、2018年当時、「トヨタの社長が年初の賀詞交歓会を蹴ってまで、米国のCESに行くとは何ごとだ」という、日本らしいガラパゴス世論に背を向けて、あえてラスベガスで登壇し、世界に向けてトヨタの事業変換を訴えたに違いない。
世界有数の巨大企業のトップの意図を汲むに当たって、いささか個人的な背景を探ったのは、豊田家の歴史はそのままトヨタ自動車の歴史につながるといっても過言ではないからだ。だからこそ、そうした「章男さんの強い意志」を知った上で、ウーブン・シティのプロジェクトを俯瞰してみると、トヨタという巨大企業ではなく、まるでスタートアップの経営者が、激しい外部環境の変化を肌で感じ、自社のコアコンピタンスを武器に事業をピボットさせようとしている、そんなトヨタの挑戦が見えてくるはずだ。
ウーブン・シティに聞いたスマートシティ構想の意図
読者諸氏の期待を裏切るようだが、あえてお伝えすると、現段階ではウーブン・シティのプロジェクトの進捗や現状のテクノロジーで実現できる個々のサービスについて根掘り葉掘り聞き出すことにあまり意味はない。とはいえ、まずはウーブン・シティの現状をおさらいしておくべきだろう。このプロジェクトをひと言でまとめるならば、「トヨタが工場跡地に一から開発する未来都市」だ。CES 2020では、会場が暗転してまもなく豊田社長が登壇し、自らの言葉で語り始めた。
「CASE:Connectivity(コネクティッド)、Autonomy(自動化)、Shared Mobility(シェアリング)、Electrification(電動化)」と呼ばれる技術やサービスによる未来づくりに取り組んでいます。加えて、AI(人工知能)、ヒューマン・モビリティ、ロボット、材料技術、そして持続可能なエネルギーの未来を追求しています。ある日、ふと『これらすべての研究開発を、1つの場所で、かつシミュレーションの世界ではなく、リアルな場所で行うことができたらどうなるだろう』と思いつきました。そして、富士山の裾野にある工場跡地に、人々が住んで、働いて、遊んで、生活しながら実証に参加するリアルな街を建築しようと決めたのです」
記者発表会場の中は一瞬、水を打ったように静まり返った。世界随一の自動車メーカーとはいえ、いくら実験都市とはいえ、たった一社の力で、リアルに人が住む街を造成し、モビリティを含む最新テクノロジーの実証試験を行うという巨大な規模のプロジェクトを敢行した例は他にないからだ。
投じられる予算については言及されていないため、想像でしかないが、トヨタが米国にグリーンフィールドで造成したアラバマ工場への投資額を鑑みると、数千億円は優に超える総工費と想定される。推察に推察を重ねることにはなるが、ウーブン・シティの設計を担当するデンマークの著名建築事務所「ビャルケ・インゲルス・グループ(BIG)」が過去に手がけたプロジェクトのうち、ドバイの火星科学都市の総工費は1億ポンド、住友商事がベトナムで手がけるスマートシティの開発で42億ドルという数字を参考にしても、やはり数千億円の事業規模になることが想像できる。総工費数千億円もの巨大プロジェクトであり、構想の発表からまもなく2年近くが経つにもかかわらず、ウーブン・シティの全容はいまだに見えてこない。かなりの情報統制が敷かれているのか、はたまた計画倒れの青写真の段階では公表できることが少ないのかなどと、しびれを切らした野次馬が勘ぐるのも無理はない。幸い …
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