「デザイン・フィクション」
大企業に乗っ取られた精神
SF小説家のブルース・スターリングが生み出した「デザイン・フィクション」の概念は、「もう1つの近未来」を想像するためのスペキュラティブなデザイン・プロセスだ。だが、初期のデザイン・フィクションに込められた批判的精神は消え、今や大企業の広告手法として利用されている。 by MIT Technology Review Editors2020.07.16
ブルース・スターリングはそもそも、その議論に参加するつもりはなかった。2010年3月13日、テキサス州オースティンで開催されたサウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)のステージで、数名のデザイナーが「デザイン・フィクション(design fiction)」という新しい枠組みについて話していた。
- この記事はマガジン「10 Breakthrough Technologies」に収録されています。 マガジンの紹介
「最後の最後に、パネルに参加するように頼まれました。デザイナーたちは、私が長い間SXSWに関わっているのを知っていたので、私が登壇すればデザイン・フィクションは、デザイナーから多少の信頼を得られると思ったのでしょう」とスターリングは笑いながら言った。
1980年代にサイバーパンク運動を始めたSF小説家のスターリングは、2005年に出版した本の中でデザイン・フィクションという言葉を生み出したが、当時、その概念はまだ曖昧模糊としていて、自身でも正確には理解していなかった。だが、SXSWでパネルに参加したことにより、その概念が極めて明確になり、居合わせた全員に向けて構想を爆発させた。
「会場の外に出た人皆が、そこで震えているのが分かりました。後ろの方にいた数名が青ざめた顔をしてやってきて、『(デザイン・フィクションについて)分かってきたような気がします』と言いました」(スターリング)。
パネルの主催者だったジュリアン・ブリーカー博士は、ロサンゼルス出身の芸術家であり、科学技術者であり、プロダクト・デザイナーでもある。デザイナーやエンジニアが自分のスキルを使って、新しい消費者向け製品を考えたり、試作品を作ったりする以上のことができる場所を共有したいと考えていたブリーカー博士は、彼らに実際の製品として考えられたものではなく、未来を語るための入口となるようなものを作って欲しかった。
2009年、「デザイン・フィクションとは、科学的事実、デザイン、サイエンス・フィクションの融合です」とブリーカー博士は自身のブログに綴っている。デザイン・フィクションは「ライティングとストーリー・テリングの伝統と、物体の物質的な工作(マテリアル・クラフト)を再結合させたものです」とも記している。ブリーカー博士によると、デザイン・フィクションで作られた作品は「物語世界の試作品」だという。作品は「問題の核心を突く変化であろうが、簡素で平凡な社会的慣習であろうが、想像力を集中させ、可能性のある近未来の世界について推測するのに役立つ小道具」だとしている。
最も初期の例として、芸術家の故サシャ・ポーフレップの「ボタン(Buttons)」というブラインド・カメラがある。2010年に制作されたこの作品は、2000年代のアップル製品の特徴的なデザインの後、いわゆるポスト・アップルのインダストリアル・デザインの美学を極限まで追求し、極端に洗練された外観のデジタルカメラだ。このデジタルカメラは1つのボタンと小さなカラー・ディスプレイだけで構成され、レンズはない。ボタンを押すと、他のカメラのように写真という形で、ある瞬間を切り取る。従来のカメラと違うのは、切り取った瞬間がこのカメラが撮影したものではないことだ。その代わり、カメラはインターネットに接続され、ボタンが押された時間に他の誰かが撮影して共有した写真をダウンロードして、画面に表示する。
すばらしくシンプルなアイデアだが、重要なのは、このカメラが単なるコンセプトアートでも、映画の中の小道具でも、美大生のモックアップでもなかったということだ。カメラは、実際に機能する装置だった。ポーフレップは、ソニー・エリクソンの携帯電話の部品と、自身がプログラムしたコードを使って、ブラインド・カメラを作り上げた。
「これは物語的機能を持った作品です」。ブリーカー博士は言う。「物語を語るのに使えます。ある種の方法で物語の中の人物たちを動かすのです。古典的な例は『マルタの鷹』だと思います。ヒッチコックはマクガフィン(MacGuffins)と呼んでいました。マクガフィンは、物語を進めたり、動きを作ったりするために使われる、登場人物の役割や小道具です」。
デザイン・フィクションでは、想像というよりは、製作プロセスが学習プロセスになる。「優れた創造的なアイデアの意味や重要性を否定したいわけではありませんが、アイデアとはありふれたものです」とブリーカー博士は話す。
2007年、ブリーカー博士はスロー・メッセンジャー(Slow Messenger)という携帯デバイスを開発した。メッセージの受信に、数分、あるいは数日、ともすると数年かかるデバイスだ。インターネットの登場により半ば強制的に常時接続して、コミュニケーションをせざるを得なくなった状況を突いたものだった。その後まもなくブリーカー博士は、こうした試験的な作品を制作する「近未来研究所(Near Future Laboratory)」を共同設立した。
近未来研究所は、TBD(Technology By Design)カタログを作った …
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