量子インターネットとは何か?中国が牽引する新技術の基礎知識
量子物理学の法則を使うことで、従来のネットワークに比べて格段にセキュアな特性を持つ量子ネットワークの開発が進められている。開発競争の先陣を切っているのは中国だが、米国や欧州も追撃を開始した。期待される「量子インターネット」の基盤となる量子ネットワークの仕組みについて説明する。 by Martin Giles2019.02.26
新たな大規模ハッカー行為によって大量の機密情報が漏洩する事件が、毎週のように報道されている。ハッカーが狙う機密情報は、個人のクレジットカード情報や医療記録から、企業の貴重な知的財産まで多岐にわたる。こうしたサイバー攻撃の脅威によって、各国の政府や軍、企業は、よりセキュアな情報送信の方法を模索せざるを得なくなっている。
今日、機密データはたいてい暗号化され、光ファイバーケーブルなどの経路を通じて送られる。その際には、暗号化したデータの復号に必要なデジタルの「鍵」も別経路で送られる。こうしたデータと鍵は、古典的なビット情報、つまり1と0で表される電子や光のパルスの一連の流れとして送られている。脆弱性は送信のこの仕組みに起因している。悪賢いハッカーは、形跡を一切残さず、送信中のビット情報を容易に読み取り、複製する。
量子通信では、量子物理学の法則を利用してデータを保護する。光子などの粒子を、1 と0の取り得る複数の組み合わせを同時に表せる「重ね合わせ」状態にして、光ケーブルで送信するのだ。こうした状態にある粒子は、量子ビット(キュービット)と呼ばれる。
サイバーセキュリティという観点から見たキュービットのすばらしい点は、伝送中のキュービットが極めて不安定な量子状態にあり、ハッカーがこれを読み取ろうとすると、1 または0の状態に「崩壊」してしまうことにある。つまり、キュービットを盗み見しようとしても痕跡が必ず残ってしまい、ハッカー行為が露見してしまうということだ。
いくつかの企業はすでに、この特性を利用して、高度に機密なデータを送信するために、「量子鍵配送(QKD:quantum key distribution)」と呼ばれるプロセスに基づくネットワークを作っている。少なくとも理論上は、これらのネットワークは非常にセキュアである。
「量子鍵配送(QKD)」とは何か?
QKDでも、暗号化されたデータは、古典的なビット情報としてネットワークを通して送信する。しかし、暗号化されたデータを復号するための鍵は、キュービットを使った量子状態で暗号化して送信する。
QKDの実装については、多様なアプローチやプロトコルが開発されている。広く使われているプロトコルの一つに「BB84」がある。BB84の仕組みはこうだ。まず、2人の人間、アリスとボブを想像してほしい。アリスは、ボブにデータを安全に送りたいと思っている。そのためにアリスは、複数のキュービットとして暗号化の鍵を作る。個々のキュービットの偏光状態が、鍵の個々のビット値を表す。
アリスが作成した鍵のキュービットは、光ファイバーケーブルを通してボブに送られる。両者の持つキュービットのごく一部の状態の測定値を比較することで(これは「鍵の篩(ふる)い分けプロセスと呼ばれる)、アリスとボブは互いが同じキーを保持していることを確認できる。
キュービットがボブに送られる途中で、一部のキュービットの不安定な量子状態が、デコヒーレンスによって崩壊するはずだ。次に、アリスとボブは、崩壊した原因を調べるために「鍵の蒸留」と呼ばれる処理を実行する。この処理では、伝送で発生したエラー率の高さが、ハッカーが鍵を傍受しようとしたことによるものなのかどうか、などを計算する。
ハッカーが鍵を傍受した可能性が高ければ、疑わしい鍵を捨てて、新しい鍵を生成して送る。 両者が安全な鍵を共有していると確信できた時点で初めて、アリスは自分の鍵を使ってデータを暗号化し、古典的なビット情報としてボブに送る。暗号化された情報を受け取ったボブは、自分の鍵を使って情報を復号する。
QKDネットワークはすでにいくつも構築され始めている。もっとも長いのは、中国の北京と上海を地上で結ぶ2032キロメートル におよぶネットワークだ。銀行などの金融機関は、すでに同ネットワークを使ってデータを伝送している。米国では、クアンタム・エクスチェンジ(Quantum Xchange)というスタートアップ企業が、東海岸沿いを走る500マイル(805キロメートル)の光ファイバーケーブルへのアクセスを可能にする許可を得ており、米国初のQKDネットワークを作れるようになった。 最初に開通するのは、多くの銀行がデータセンターを設置しているニュージャージーと、マンハッタンを結ぶ区間になる予定だ。
QKDは比較的セキュアだが、「量子中継器」を使えるようになれば、さらに安全になる。
「量子中継器」とは何か?
光ファイバーケーブルの材料は光子を吸収するので、光子はたいていの場合、長くても20キロから30キロメートル程度しか届かない。古典的なネットワークでは、各種の中継器をケーブル上に設置して信号を増幅してこれを補っている。
QKDネットワークもこれと似た解決法を見い出しており、「信頼できるノード」をいろいろな地点に設けている。たとえば、北京と上海の間のネットワークにはこれが32カ所ある。これらの中間基地で量子鍵はビット情報に復号され、新しい量子状態として再暗号化されて次のノードへ送られる。だがこの操作は、信頼できるノードが本当は信頼できないことを意味する。ハッカーがそのノードのセキュリティを突破すれば、探知されずにビット情報を複製し、これによって鍵を取得できることになるからだ。ノードを運営する企業や政府にも同じことが言える。
理想を言えば、暗号鍵を量子状態のまま増幅し、長距離にわたって送れるようにする量子プロセッサを備えた量子中継器や中間基地が必要となる。研究者らは、原理的には量子中継器を作れることを実証しているが、実際に動作する試作品を作るには至っていない。
QKDネットワークには他にも問題がある。機密データ自体は依然として、暗号化したビット情報として従来型のネットワークを介して送信する。つまり、ハッカーがネットワークの防御を突破すれば、探知されずにビット情報を複製し、強力なコンピュータを使って、暗号化に使われた鍵を解読できるということだ。
もっとも強力な暗号アルゴリズムはかなり堅牢だが、こうしたリスクの大きさを憂慮した一部の研究者らは、「量子テレポーテーション」と呼ばれる代替的なアプローチの開発へと動いている。
「量子テレポーテーション」とは何か?
SF小説のように聞こえるかもしれないが、これは実際に存在する手法だ。データを一貫して量子状態の形で伝送する量子テレポーテーションでは、 量子もつれと呼ばれる量子物理学の現象を使う。
量子テレポーテーションでは、もつれ合った一組の光子を生成し、一方をデータの送り手に、もう一方をデータの受け手に送信する。アリスは、もつれ合った光子の一つを受け取ったら、この光子を、ボブに送りたいデータを保持する「記憶キュービット」と相互作用させる。この相互作用によってアリスの持つ光子の状態が変化すると、即座に、もつれ合った状態にあるボブ側の光子も変化する。
この仕組みによって、アリスの記憶キュービットにあるデータが、アリス側の光子からボブ側の光子へと「テレポート」される効果が生じる。以下の図を見れば、このプロセスがもう少し詳しく分かる。
米国、中国、そして欧州の研究者らは、もつれ合う光子を配信できるテレポーテーション・ネットワークの開発にしのぎを削っている。だが、ある程度の規模まで持っていくには、多くの科学的・技術的に困難な多くの課題がある。たとえば、もつれ合った光子を需要に応じて次々に大量生産する信頼性のある方法を見つけること、もつれ合いを長い距離に渡って維持する方法を見い出すことなどだ。量子中継器が作れれば、課題の解決は少しは簡単になるだろう。
課題は多いが、研究者らは将来の「量子インターネット」への夢を捨ててはいない。
「量子インターネット」とは何か?
従来のインターネットと同様、量子インターネットは、世界中に広がる、ネットワークで構成されたネットワークだ。大きな違いは、基盤となる通信ネットワークが量子ネットワークであるという点だ。
量子ネットワークが今日のインターネットを置き換えることはないだろう。猫の写真、ミュージック・ビデオ、機密ではない多くの取引情報は、依然として古典的なビット情報の形式でやり取りされるはずだ。しかし、特に貴重なデータをセキュアに保つ必要のある組織にとって、量子インターネットは魅力的に映るだろう。クラウドコンピューティングを通じて量子コンピュータが利用されることが増えつつあるが、これらのコンピュータ間を流れる情報をつなぐのにも理想的な方法となり得る。
量子インターネットの推進で先陣を切っているのは中国だ。「墨子号」と名付けた量子通信衛星を数年前に打ち上げ、2017年には同衛星を使って、QKDでセキュアにした世界初の大陸間ビデオ会議を、北京とウィーンの間で成功させた。地上局も設けて、すでに衛星を北京と上海の間の地上QKDネットワークと接続している。中国は今後、さらに多くの量子通信衛星を打ち上げる予定で、国内のいくつかの都市が地方自治体用QKDネットワークを計画している。
完全に量子化されたインターネットでさえも、最終的には、量子に基づく新手の攻撃に対しては脆弱なものになるかもしれないと警告している研究者もいる。だが、今日のインターネットを悩ませるハッカーらの猛攻撃に直面している企業、政府、軍は、遅々として進まないながらも、よりセキュアな代替手段である量子ネットワークへの展望を今後も探求し続けるだろう。
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- マーティン ジャイルズ [Martin Giles]米国版 サンフランシスコ支局長
- MITテクノロジーレビューのサンフランシスコ支局長として、コンピューティングの未来とシリコンバレーの企業を対象に取材しています。MITテクノロジーレビューに参加する以前は、ビジネステクノロジー分野に焦点を当てたベンチャーキャピタルで調査と出版を主導しました。それ以前は、エコノミスト(The Economist)で記者兼編集者として長年にわたって勤務した経験もあります。最近は、西海岸に拠点を置くテックライターとして活躍しています。