KADOKAWA Technology Review
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衛星インターネット激戦区
アラスカが注目される理由
Associated press
Why the future of satellite internet might be decided in rural Alaska

衛星インターネット激戦区
アラスカが注目される理由

ソフトバンクが出資する「ワンウェブ」や、スペースXなど、低高度軌道衛星(LEO)を使ったインターネット接続の提供を計画する企業の動きが活発化している。各社が最初に狙うのが、アラスカだ。人口は少ないが裕福な州で、地政学的にも見逃せないアラスカであれば、それなりの収益が見込めるとの思惑がある。 by Erin Winick2019.08.09

1年のうちの11カ月間、クリスティーン・オコナーはアラスカ・テレコム協会(ATA:Alaska Telecom Association)で働く。 ATAは、アラスカのすべての住人に対して、よりよいインターネット・サービスの提供を目指す業界団体だ。オコナーはATAで事務局長を務めている。

オコナー事務局長のいるアンカレッジのオフィスのインターネット・サービスは申し分ない。毎秒100メガビットの高速接続を同じビルの入居者と共有している。だが毎年7月、オコナー事務局長は登録人口が2人という非法人地域(市町村などの最小自治体に属さない地域)のエカックでプロの漁師として働く。そこで彼女は再び、州の多くを占める僻地の惨状を思い知らされるのだ。

エカックの建物の屋根の上には、2世代前のパラボラアンテナがほぼ水平方向に向けられ、もっとも近いインターネット衛星のヒューズネット(HughesNet)からサービスを受けている。アンテナは中古で購入した。新型のアンテナはオコナー事務局長の住んでいるエカック地域では利用できないからだ。このアンテナを使うと、毎秒2メガビット(下り)のサービスを月額199.99ドルで利用できる。1日の通信量の上限は800メガバイト。ちなみに2017年の米国のブロードバンドの下り平均速度は毎秒64.17メガビットで、月額平均料金は67ドルだ。だが彼女が不満を漏らすことはない。「そもそもインターネットに接続できること自体、ありがたいのです」。

O'Connor standing in the entrance to a utility tunnel in Utqiagvik, Alaska.
アラスカ州ウトキアグヴィクで、共同溝の入口に立つオコナー事務局長

アラスカの住人の15%から39%は、インターネット・プロバイダーのサービスが受けられない状況にある。衛星インターネットが、これらの人々にサービスを届ける唯一の手段だ。人口の少ない僻地にファイバー・ケーブルを敷設するのは投資に見合わない。

だから衛星インターネット企業はいま、低高度軌道衛星(LEO)などの一連の新技術を試す格好の場所として、アラスカに注目している。ワンウェブ(OneWeb)やスペースX、テレサット(Telesat)、レオサット(LeoSat)といった企業が膨大な数のLEOを使って、ブロードバンド・インターネット接続を提供しようと計画している。数千基の衛星が地球を周回し、およそ2000キロメートルの高度から地表にインターネット信号を送るのだ。衛星インターネット・サービスを提供する手段として現在使われている大型の静止衛星よりも距離はかなり近い。静止衛星はおよそ高度3万6000キロメートルのの赤道上空を周回している。

衛星インターネットを巡る動きは、アラスカの住人にとってはもちろん良いニュースだ。だが、辺鄙な場所ではあるかもしれないが、比較的裕福なアラスカ州へのネット接続に重点を移すという動きは、かつて多くの企業がLEOテクノロジーに関して約束した内容とは大きく異なっている。当初、これらの新型衛星を巡る説明は、ネット接続のない世界、すなわち「その他の30~40億人」をつなぐことに重点が置かれていた。高尚な動機に見えるが、そうした地域から利益を上げるのは難しいという厄介な現実がある、とマサチューセッツ工科大学(MIT)のマット・グレイドン研究助手は話す。「ある企業幹部は、1日1ドルしか稼ぎがない人々に(インターネット)アクセスを提供してもビジネスは成り立たない、とはっきり言いました」。

ワンウェブのグレッグ・ワイラー創業者は以前、「その他の30億人(other 3 billion)」をつなぐという大きな目標にかけて、「O3b」という会社を立ち上げた。「ここ10年くらいで分かったのは、彼らの中核市場が『島』や『クルーズ船』になるということです」。英国のコンサルティング企業であるブライス・スペース&テクノロジー(Bryce Space and Technology)のマニー・シャル分析部長は話す。「企業が目標から離れていくのは少々興味深い現象でした。むしろ『その他3人の億万長者(other 3 billionaires)』のようでした」。

アラスカは、ほどよい中間地の役割を果たす。インターネット接続が行き届いていない人々がいて、「未接続地をつなぐ」という企業ミッションに合致するのに加え、サービスを支える資金もある。アラスカはより安価でより良いネット接続を渇望している、人口密度の低い米国の辺境州なのだ。

別の金銭的なインセンティブが働く可能性もあるかもしれない。北極に近いというアラスカの地理が、インターネット・サービスが貧弱な理由の1つとなっている。赤道上空を周回する現在の静止衛星では高緯度地域へのサービスの提供が難しい。北極圏に適切なサービスを届けられれば、海上輸送などの企業向けの収益性の高い市場が開く可能性がある。

「北極圏の地政学的な重要性は軽視できません」

「衛星サービスを提供する側は、ハイエンド顧客を求めて『スキミング・プライシング(資金の早期回収のため初期価格を高く設定する)』戦略を実行するでしょう」。宇宙政策・戦略センター(Center for Space Policy and Strategy)のカレン・ジョーンズ上級プロジェクトリーダーは話す。「顧客は航空会社やクルーズ船であり、北極圏のような(価格の変化に対して需要が大きく変化しない)非弾力的需要のある場所です。北極圏の地政学的な重要性は軽視できません」。

アラスカに注目している最大のLEOスタートアップ企業は、ワンウェブだ。ワイラー創業者は2017年に次のように話している。「初期の拠点の1つとして、アラスカ州に注目しています。極めて困難なブロードバンドの問題がある場所だからです。アラスカの問題を解決できれば、他のあらゆる場所でも可能なことを大々的にアピールできます」。

オコナー事務局長によると、ワンウェブは現場でよく見かけるし、地元の会合に参加したり、アラスカの主要な企業と話したりしているという。ワイラー創業者は自社の計画についてエコノミスト誌で明らかにし、2019年に北部地域でサービスの提供を開始すると語った。だがワンウェブは、当初の見積価格よりも高額となった衛星を含め、財務上の問題に直面しているとも報じられている。ワンウェブの衛星第1号は度重なる延期を経て、2月27日に打ち上げられた。

ワンウェブを追撃するように、別のスタートアップ企業であるアストラニス(Astranis)も小型静止衛星の打ち上げを予定しており、2020年までにアラスカにインターネット接続を提供する計画だ。アストラニスが展開する衛星は通常の静止衛星よりも安く、大きさも10分の1から20分の1程度だ。

「アラスカが最初の顧客となります」とアストラニスのジョン・ゲドマークCEO(最高経営責任者)は話す。「目の覚めるような機会となるでしょう。世界を見渡した結果、最高の場所が実際のところ米国内にあったのですから」。「最高」の意味は大きな需要がある場所ということかもしれないが、それなりの利益を上げるのに大きなチャンスがある場所という意味合いもあるだろう。

今年1月、アストラニスはアラスカでのサービス提供契約を地元のインターネット・プロバイダーであるパシフィック・データポート(Pacific Dataport)と交わした。アストラニスはパシフィック・データポートに対してサービスを卸売りする予定で、サービス開始時点からの収益が約束されている。

アラスカの衛星産業で長らく活動している企業も消えるわけではない。ATAのオコナー事務局長も利用しているネット接続サービスを提供するヒューズは現在、アメリカ大陸で120万人の契約者を抱えている。ヒューズ・ノース・アメリカ(Hughes North America)のポール・ガスケ部長によれば、同社は引き続き静止衛星に投資していく計画だ。ヒューズの「ジュピター3(Jupiter 3)」衛星は2021年の打ち上げを予定している。ジュピター3によって、ヒューズの米国でのサービス提供能力は3倍になる。「LEO衛星の強みはリーチにあります」。ガスケ部長は、LEO衛星では大量の顧客にサービスを提供できる能力を提供できないと考えている。

2月22日の打ち上げの準備が進む中、4つは取り付けが完了し、あと2つ残っている。あとわずか数カ月で、アラスカの友人たちのための通信デモを開始できますように! @SenDanSullivan @lisamurkowski pic.twitter.com/3RP1lVkN0A

— グレッグ・ワイラー(@greg_wyler)2019年2月7日

ワンウェブやアストラニス、レオサットといった企業がインターネットにアクセスしていないアラスカ住人にサービスを提供するには、既存のプロバイダーよりも低価格で挑むか、そのリーチの広さという利点を利用しなくてはならない。しかも自社の価値を地元のパートナー企業に証明しなければならない。「これを実験とは見なしていません」とアラスカのインターネット・プロバイダーであるGCI(General Communication Inc)のマーク・エアーズ副社長は話す。「(衛星ネット企業は)試験運用の前に、技術的な能力を証明する必要があるでしょう」。タイミングを合わせたかのように、最初のLEOのデモが間もなく始まるかもしれない。ワンウェブのワイラー創業者は2月、「あとわずか数カ月で、アラスカの友人たちのための通信デモを開始できますように!」とツイートした

もう1つの問題は、州の人口がそれほど多くないという点だろう。そこに、分け前にあずかろうという新規参入組が群がっている。他方では、競争の激化によりいくつかの既存企業が苦しんでいる。静止衛星インターネットを長く手がけてきたバンコクのタイコム(Thaicom)は昨年、収益が10.2%落ち込み、2年連続の減益となった。その原因として「競争激化」を挙げている

さまざまな企業が有利な位置に立とうと画策し、利益を上げられるか確認しようとしているが、アラスカの住人たちは成功を切実に願っている。「アラスカの僻地にも安価で良質なインターネットの選択肢が与えられることを切望しています。どれだけ早く実現するか知りたいですね」とATAのオコナー事務局長は話す。「いまはただ、待つだけです」。

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MITテクノロジーレビューの宇宙担当記者。機械工学のバックグラウンドがあり、宇宙探査を実現するテクノロジー、特に宇宙基盤の製造技術に関心があります。宇宙への新しい入り口となる米国版ニュースレター「ジ・エアロック(The Airlock)」も発行しています。以前はMITテクノロジーレビューで「仕事の未来(The Future of Work)」を担当する准編集者でした。それ以前はフリーランスのサイエンス・ライターとして働き、3Dプリント企業であるSci Chicを起業しました。英エコノミスト誌でのインターン経験もあります。
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